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成人年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案が国会で論議される予定だ。天皇の成人年齢を18歳とした皇室典範の条文を削除するほか、飲酒や喫煙の禁止年齢を20歳未満に据え置くなど関連法案24本も提出されるという。その一方で元SEALDsの諏訪原健さんは、なぜ、被選挙権は25歳まで認められないのかと疑問を呈する。
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少し前に25歳になった。いわゆる「アラサー(アラウンド・サーティ)」の仲間入りをするのかということばかりが頭に浮かんだが、同時に衆院議員選挙などでは被選挙権を認められたことになる。そのことに気づいた時に、ふと思ったのはが、これまで自分のことを当たり前に「成人」だと思ってきたけれど、実際には参政権制を制限されていたのか、ということだった。
2015年夏の国会前で、懸命に政治に対する意見を表明する高校生が、「次回の参院選ではぎりぎり選挙権がない」と語っていることに、私はどこか不条理さを覚えていた。しかしよくよく考えると、自分もまたそんな「不条理」の延長線上に置かれていたのではないかという気持ちが湧いてくる。
本国会では、成人年齢を引き下げる民法改正が行われる見通しだ。それに付随する形で、婚姻年齢の変更、あるいは飲酒・喫煙・ギャンブルなどの扱いなどが話題になっている。その一方で、成人年齢の引き下げに至った背景には、2007年の国民投票法改正や、2015年の公職選挙法改正があるにもかかわらず、被選挙権のことは、忘れ去られているように思えてならない。
もちろん、被選挙権の引き下げに向けた議論がないわけではない。しかし、それは今回の成人年齢の引き下げとは、また別の動きとして生じている。しかもそれは、まだまだ検討の段階にとどまっている。その先、被選挙権の扱いがどうなるのかは、非常に不透明だ。
私自身は、いちはやく被選挙権も引き下げが行われる必要があると考えている。それは権利という観点からはもちろんだが、これからの社会のことを考えても、そのほうが望ましいと思っている。