歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。
日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将や歴史上の人物がどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。本書の中から、早川教授が診断した在原業平の症例を紹介したい。
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【在原業平(825~880)】
百人一首は物心ついたころから家にあるが、お正月しかしないので一向に上達しない。それでも、「ちはやぶる神代もきかず龍田川」(古今294)は得意の札で、「ちは」とくると「からくれなゐに水くくるとは」は人に譲らなかった。『伊勢物語』のモデルとなった在原業平の作品である。
■昔、男ありけり
平安時代初期の歌人在原業平は天長2年(825年)平城天皇の皇子の阿保親王の第五王子として生まれた。両親ともに皇族だったが、兄・行平とともに臣籍降下して在原氏を名乗る。仁明天皇の蔵人として従五位下に進むも、政治的理由で(一説にはあまりに派手な女性関係で)、文徳天皇の代には13年にわたって昇進が止まり、次の清和天皇のもとで従五位上、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭に序せられる。
『日本三代実録』に「体貌閑麗、放縦不拘、略無才覚、善作倭歌」とあるように本人は出世にはあまり興味がなく、次々に新しい恋を求めた。男女関係に鷹揚な平安時代とはいえ、相手は天皇の后である二条后(藤原高子)や神に仕える伊勢斎宮恬子内親王など、社会的に絶対に許されない恋である。
生殖生物学的には、負担の大きな投資を行う女性に生殖の優先権があり、個々の配偶子形成に対するコストが少ない男性を自然淘汰に委ねる、すなわち、生存競争に勝った男性が複数の女性を妊娠させることが可能という哺乳類全体に共通する生殖戦略がヒトでも成り立つ。ただ、子どもが成熟するのに十数年かかる人類では、夫婦で協力して子を育てるほうが繁殖成功度は高い。
そんな中、子どもは乳母が育ててくれて、自分は遊んでいても食べるに困らない貴族階級において、一部は浮気に走る。しかし、同じ上流階級でも一夫一婦を守る真面目なカップルも多いのはなぜだろうか?
早川智
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