『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、禅宗の開祖、達磨大師を診断する。
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【達磨大師 (5世紀後半?~6世紀前半?)】
初詣はどこも大変な人出である。
長い行列を終えて、帰りは露店で甘酒や縁起物ということになるが、筆者が毎年出かける実家近くの神社ではだるま市が開かれている。数センチのミニだるまから巨大なものまで様々である。数年前に小ぶりのものを買い求め、教室の先生がメジャーな雑誌に論文を送る時に片目を、アクセプトが決まると杯を上げて両目を入れていたが、数が増えて棚に場所が足らなくなって、いつしかやめてしまった。
■壁の前で9年
さて、だるま人形のモデルは実在の人物、菩提達磨で禅宗の開祖であるという。
魏の撫軍府司馬楊衒之撰『洛陽伽藍記』(547年)などによると、達磨は南天竺国・香至王の第3王子として生まれ、般若多羅の法を得て仏教の第28祖になったということになっている。胡人(ペルシア人)であったという説もある。海を渡って中国へ布教に来た達磨は普通元年(520年)当初南朝(梁)の治める広州に上陸したが、受け入れられず北魏に向かい、嵩山少林寺において壁に向かって9年座禅を続けたという。これが、禅宗でいう壁観(壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅)を体現したものであるという。
永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したが、パミール高原で片方の草履のみを手にした達磨を見かけた者があり、墓にはもう一方の履物しか残っていなかったという伝説がある。禅宗はやがて臨済宗、曹洞宗などの五家七宗に分かれ、日本には鎌倉時代に伝来し、本家であるインドや中国で衰退したのちも特に武士の間で広く受け入れられた。庶民の間にも達磨大師が面壁9年の座禅によって手足が腐ってしまったという伝説が生まれ、縁起物のだるま人形になったという。
早川智
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