もし少女たちが「死にたいほど辛い」と言ったら周りはどう反応したでしょう。

「そんなに思いつめない方がいいよ」
「死んじゃだめだよ」
「そんなこと言っちゃだめだ」
「もっとつらい人は世の中にたくさんいるよ」
などというのが一般的な反応ではないかと思います。こんな反応では、彼女らは救われません。聞き手が彼女らの絶望的な苦しさから逃げています。確かに常識的な意味では親身な対応ですが、彼女らの圧倒的な辛さに真剣にかかわってくれているようには感じられません。それに比べて、「死にたい」とシンプルに表現すると、方向性はねじ曲がりますが、もっと一生懸命な対応が得られることが多いのです。

 離婚も同じです。

「離婚したいほど苦しい」と言ったら、
「(何不自由なく生活しているのに)何が苦しいことがあるんだ」
「(私には離婚する理由はないから)離婚はしない」
「そんな簡単に離婚という言葉を使うのはおかしい」
「(離婚と言わなくなるためには)どうしたらいいんだ」
「あなたが悪いんでしょ」
というような返事が返ってくることが多いと思います。そして、その言葉にさらに深く傷つくことになります。

 それよりは、もっとシンプルに「離婚したい」と言ったほうが、インパクトがあり、相手は多少なりとも、そのインパクトに右往左往します。それは「真剣に関わってくれた感じ」をもたらします。さらに離婚は夫婦にとって最後の一線ですから、最大級のインパクトで相手を黙らせる効果もあります。

 もちろん黙ったからといっても、問題が解決したわけではなく、我慢しただけです。何回も何回もそういうことが繰り返されて、我慢に我慢を重ねた結果、離婚と言われている側が、「もう我慢できない、本当に離婚になっても仕方ない」と気持ちが変わるときが来ます。

 気持ちが切り替わってしまうと、話は逆回りします。

 いつも「離婚」と言われていた側が「もう、離婚でいい」となった時、離婚を言っていた側は、自分は離婚をしたいわけではなかった(本当は、離婚したいわけではないのに離婚と言っていた)、ということに気づきます。犯人に手をかけられた瞬間の女性たちと同じです。

暮らしとモノ班 for promotion
大谷翔平選手の好感度の高さに企業もメロメロ!どんな企業と契約している?
次のページ