この図式に従って、若き日のとんねるずはバラエティ番組で縦横無尽に暴れ回った。「素人感」をアピールしたことで、彼らは自分たちと同じ若い世代の視聴者を味方につけた。この時期のとんねるずは「何も持たない社会的弱者の代表」だったのだ。

 彼らが冗談半分で歌を歌ってレコードデビューしたところ、これがまさかの大ヒット。音楽番組では、格上のスターたちに囲まれて、彼らがふざけながら持ち歌を歌っていた。とんねるずがいつのまにか本物のスターに成り上がっていく道のりは、間違いなく一種の「革命」だった。

 とんねるずが偉そうに振る舞うのは、もともとは「立場の弱い人間が開き直って虚勢を張る」という意味合いが強かった。金も学歴も芸も才能も下積みもないとんねるずは、本来ならば芸能界に立ち入ることを許されない「持たざる者」だった。そんな彼らが、ひょんなことからチャンスをつかみ、芸能界で名を成していくのは、同時代の若者にとってこの上なく痛快なことだった。

 ところが、その後、状況は変わってしまった。とんねるずが成功して本物のスターになってしまったことで、彼らが偉そうにすることの意味が変質してしまったのだ。本当に偉い立場に立った人間が偉そうにするのは、受け手にいい印象を与えない。セクハラやパワハラに対する理解も進み、そういう言動に対する社会の目も厳しくなっている中で、従来のスタイルを崩さないとんねるずは批判の対象になりやすい。

「保毛尾田保毛男」騒動を通して私が実感したのは、LGBTに対する世の中の見方が変わったのと同時に、とんねるずという芸人に対するイメージも数十年のうちに徐々に変わっていたのだな、ということだ。石橋はかつて『R25』という雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。

「夢見てるうちは、殴られても蹴られても痛さを感じないからね。だんだん歳を重ねて、夢より現実が強くなってきたら、どんどん痛さがわかってくる」

 ここでは、がむしゃらに上を目指して、そこにたどり着いてしまった人間だけが感じる思いが率直に語られている。とんねるずはこれからどこへ向かうのか。「保毛尾田保毛男」騒動で彼らは岐路に立たされているのかもしれない。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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