まず、泉田氏が市民連合の再三の求めにもかかわらず、再稼働慎重派の米山氏を支持することを最後まで断り続けたことだ。今から考えれば、自民党との関係で米山氏支持は打ち出せなかったということなのだ。
さらに不思議だったのは、泉田氏は、選挙戦終盤で、二階俊博自民党幹事長の求めに応じて、官邸で安倍晋三総理と会談した。これを受けて、菅義偉官房長官が、「知事にお越しいただいたことは大きい」と述べて、泉田氏と自民党の蜜月ぶりをアピールした。
これは、二階氏が要請したものだが、それに乗った泉田氏は、明らかに将来を考えて、二階氏と安倍総理に恩を売ったのである。
この時、私は彼が二階派から国政に出るつもりなのではないかという疑念を抱いた。人気抜群の泉田氏だが、実は、いつも「お金がない」と漏らしていた。資金面の面倒を見てくれそうな二階氏とのタッグは「願ったりかなったり」のものだったのだろう。少なくとも、彼にそうした思惑があったとしても何ら不思議はない。
地元の自民党関係者やマスコミの話では、この夏前までに、泉田氏は、5区ではなく4区から立候補することになっていたそうだ。泉田氏は元々4区の加茂市出身。既にかなり積極的な選挙準備の活動が展開されていたという。
そこに突然の5区長島忠美議員の死去で、5区候補として急浮上したのである。
泉田氏としては、今5区で出ても、すぐにもう一度衆議院選がある。ここは自重して、4区から出る方が得だ。5区から出れば、4区で活動している後援者たちへの裏切りとなる。
実は、泉田氏が最後まで迷ったのは、「脱原発派への裏切り」の問題ではなく、「4区への裏切り」問題だった。結局5区から出ることにしたのは、二階氏や安倍総理への大きな貸しになるからであろう。
■泉田氏の裏切りと言い訳とは?
泉田氏は、「4区支持者との関係で、大義名分が必要」と繰り返していたそうだが、今回彼は、しきりに故・長島忠美衆議院議員(5区の補選は同氏死去によるもの)及び山古志村との関係を強調している。彼の口からは、知事になって最初に公務で会ったのが当時の山古志村の長島村長で、一緒に震災対応を不眠不休でやったとか、最後の公務で訪れたのが山古志村で、住民から感謝と激励の言葉をもらったなどの話が出て来る。そうした「深い縁」が大義名分になるということなのだろう。