T-BOLAN(撮影/写真部・小原雄輝)
T-BOLAN(撮影/写真部・小原雄輝)
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「お前を待っているから」

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 T-BOLANのヴォーカル森友嵐士が、ベッドに横たわったままの上野博文に語り掛けた。くも膜下出血で倒れた上野はまったく表情を変えない。意識があるのか。ないのか。

 そのとき、そこにいる全員が自分の目を疑った。上野の瞳から涙があふれたのだ。

「聞こえているのか!?」
「言葉、理解しているのか!?」

 ベースの上野がくも膜下出血で倒れたのは2015年3月。脳圧が下がり、ICU(集中治療室)の無菌状態の環境で眠り続け、メンバーも見舞いに行けない状況が続いていた。意識が戻り、一般病棟へ移って森友や、ドラムの青木和義、ギターの五味孝氏にもようやく面会が許された。

 しかし、見舞ってみたものの、上野に反応はない。ただ天井を見たままだ。それでも森友が話しかけると、涙を流したのだった。

「会話の内容を理解しているかもしれない」と希望を見た森友は、上野の家族に本人のライヴ音源を病室で流してもらうように頼んだ。

「ミュージシャンはステージに立ちたいもの。上野のその気持ちを刺激したい」

 森友は眠り続ける盟友にかつての自分の姿を重ね合わせた。

 1991年7月にメジャーデビューしたT-BOLANは、1995年に活動停止をした。理由は森友の心因性発声障害。突然声が出なくなったのだ。歌いたい。しかし、歌えない。苦しみと戦い続け、4年経っても森友に回復の見込みはなく1999年に解散した。だから、上野の気持ちが痛いほど理解できた。ベッドに寝たままの上野に潜在する「ステージに立ちたい」という思いにかけた。

 その3日後、奇跡は起きた。「指が動きました!」という連絡が上野の家族から届いたのだ。月日とともに「歩きました!」という報告が、次は「食事をしました!」。

 そして「退院しました!」という連絡を受け、都内の豆腐料理の店でメンバーそろっての食事の席を設けた。

「上野、退院できてよかったな。今お前がここにいるのは、神様からもらった2度目の命だよ。その大切な命、どう使いたい?」

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