森友が訊いても反応は鈍い。ところが、上野は病気の後遺症で開き切らない口で確かに言った。
「ステージに立ちたい」
そのひと言が、T-BOLAN復活へのスタートとなった。
「上野の復活の場、俺たち3人で用意する! 1曲でもいいから演奏できる体を取り戻してくれ」
森友は約束をした。食事会が2016年の2月。メンバーはすぐに動いた。12月31日、豊洲PITでT-BOLANカウントダウンライブを行い、上野を復活させることが目標。そこから逆算するかたちで、全員が動き始めた。
ベーシストとしての上野のリハビリの相手は、ギタリストの五味が引き受けた。ギターとベースはともに弦楽器。指の動きを取り戻すには何よりのパートナーだ。
「実は、上野が入院しているときに1度、病院の談話室でベースを持たせてみました。そのとき、おぼつかないものの、指が動いたんです。もちろん病気の前のようなわけにはいきません。リズムはずれていました。でも、弾けたんです」
五味は上野のその姿に希望を見た。上野は自宅で練習を重ね、2週間に1度は五味の家の近くのスタジオで4人で音を出した。一歩ずつだが、指は動くようになっていく。
「上野、12月31日のライヴ準備は進んでいるから、無理はしないで、お前の力で戻れるところまで戻してくれ」
森友は折々上野に激励した。
12月31日、豊洲PIT。ついに4人が同じステージに立つ。
「上野はね、後遺症に苦しんでいるのに、ベースを持つとしっかりするんですよ。楽器があるときとないときは別人です。ベースを抱えたときの上野には力を感じる。やっぱりミュージシャンなんです」
ステージ上の上野の姿に、森友はこみあげてくるものを必死で抑えた。
「まさか上野が復活するとは。リハの時から、泣きそうでした。僕は上野が1曲も弾けなくてもいいと思っていたんです。ステージに立つだけでも奇跡だから。会場に来るだけでも奇跡だから」