東京湾は、品川から見ると対岸ははるか向こうで、広大な海と感じられるが、湾の入り口である浦賀水道の一番狭い場所は対岸まで7キロほどの距離しかない。このため、日本武尊の東征神話の時代からこの場所は、三浦半島と房総半島を結ぶ交通の要衝として知られてきた。今でもこの部分は国道16号線の環状線の一部、通行不能ではあるが海上道路として登録されている。もちろん東京へ海から上陸するには、この狭隘(きょうあい)な海峡を通過するしかなく、明治時代には国防の観点から海堡(かいほう)が築かれ、船の侵入をますます困難にした場所だ。この防衛線の一端を担っていたのが、横須賀沖の猿島である。
●東京湾で唯一の無人島
猿島は東京湾に浮かぶ唯一の無人島だ。現在は、三笠公園脇の桟橋から1時間に1本程度出ている猿島フェリーに、約10分乗るだけで渡ることができる(冬期は便数が減少)。釣りやBBQを楽しむ人に人気の場所だが、夏場は特に海水浴客でにぎわっている。今はすっかりマリンレジャースポットとなっているが、その歴史をひもとくと、島が持つバックグラウンドも興味深い。歴史遺産散策のためのガイドツアーも用意されているほどだ。
●猿島の名は白い猿伝説から
島の頂からは、縄文時代の土器片や石器類が出土していて、この時代は半島と地続きだったと考えられている。やがて縄文中期に海面が上昇するとともに島となり、豊かな自然を育んできた。
その後、鎌倉時代に入ってから、この島が猿島と呼ばれることになる出来事が起こった。
日蓮がその名に改名し、日蓮宗を開宗したとされる1253(建長5)年、房総から鎌倉へ船を漕ぎ出したところ、荒波にもまれ沈没寸前になるもなんとか島に流れ着いた。当時は全部で10の小島のある島、十島(としま/あるいは当て字として豊島)と呼ばれていた島に上陸した日蓮は、この時現れた白い猿が指し示した方角へと船を進めて無事三浦半島へ上陸できたのだという。この伝説から、以来この島は猿島と呼ばれるようになった。他にも付近で取れる角のないさざえに日蓮伝説が関わっていたり、房総から泳いでくる大蛇伝説があったりと、昔ばなしが残されている。
●貴重なレンガ遺跡も
日蓮が大荒れの海から避難したと言われている洞窟は、今も猿島の北側に残されている。日蓮洞窟と呼ばれている洞窟の奥行きは深く、弥生から古墳時代、江戸時代にわたるまでの貝塚が発掘されていて、ここで暮らしていた古代の人々の生活様式を知ることができる。この洞窟は、江ノ島洞窟から富士山の洞窟につながる聖域だという言い伝えも残っている。
幕末に黒船が来航すると、猿島には砲台が築かれるようになった。明治以降も軍の管理のもとさまざまに整備され、要塞(ようさい)化していく。その名残が今も島のあちこちに残っているが、中でも明治初期に作られた西洋築城の技術を取り入れた石積みや、フランス積み(フランドル積み)と呼ばれる日本では数例しか残されていない方法を用いた、レンガ造りのトンネルや建築物は特に貴重な遺跡として保存されている。余談だが日本のレンガ積みは、のちに入ってきたイギリス積みの方が主流となり、フランス積みは姿を消していったという。
長く手つかずだった自然風景と、美しいレンガ模様のためか、猿島はかなり以前からテレビ番組のロケ地としても知られている。有名なところでは仮面ライダーや西部警察、最近でも2017年初春のスペシャルドラマ「そして誰もいなくなった」の孤島・兵隊島としても登場した。今では、東京都心から日帰りバスツアーも催行されているほど人気となった猿島は、身近な観光地としても避暑地としてもオススメである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)