米カリフォルニア知事と一緒に新幹線シミュレーターを視察する安倍首相。左から5人目で青いネクタイをした横顔の男性は筆者 (c)朝日新聞社
米カリフォルニア知事と一緒に新幹線シミュレーターを視察する安倍首相。左から5人目で青いネクタイをした横顔の男性は筆者 (c)朝日新聞社
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向谷実(むかいや・みのる)/1956年、東京都生まれ。77年に「カシオペア」のキーボーディストとしてデビュー。95年に世界初の実写版鉄道シミュレーションゲームを発売。鉄道各社に技術を評価され、運転士の教育用シミュレーターなども開発する
向谷実(むかいや・みのる)/1956年、東京都生まれ。77年に「カシオペア」のキーボーディストとしてデビュー。95年に世界初の実写版鉄道シミュレーションゲームを発売。鉄道各社に技術を評価され、運転士の教育用シミュレーターなども開発する

 世界で初めて、1993年に電車を運転するゲームというものを作ろうと思い立ったわけですが、仕組みは単純でも、作るのは一筋縄ではいきませんでした。

 車内からの映像データがないと始まらないわけですが、最初は誰に許可を貰えばいいのかわからない状況でした。JR東日本に知り合いが何人かいたので、そこから当たることになりました。しかし、その紹介でJR東日本本社に伺うことができても、「うちではそういう許諾はやっていない」ということで、車内の中吊り広告などを手がけるJR東日本企画を紹介されました。そしてJR東日本企画に行っても、今度は「うちではそういうのよくわからない」とまた本社のほうにたらい回しにされました。結局はJR東日本企画で、運転台から見た映像をビデオにした「列車通り」というシリーズで撮影したデータをお借りする形で、「Train Simulator」シリーズ第1作目となる「Train Simulator 中央線201系」の製作の目処が立ちました。この時はまだアップルのマッキントッシュだけで出す予定でした。

 制作の裏話を明かすと、この中央線の区間、中野から豊田までというとても微妙な区間になっています。実は、当時のビデオカメラではバッテリーの持ちの関係で、連続して撮影できる時間が30分に限られていました。本当は新宿から八王子までやりたかったのですが、この都合で中野から豊田までという区間で、世界初のトレインシミュレーター、電車を運転するゲームが世に出ることになりました。

 いざソフトを出そうとする時、ここでも一つ問題が浮上しました。当時はパソコンソフトの流通は店側が買い取る形で成り立っていたのですが、秋葉原などのパソコンショップに営業しに行っても、「電車の運転って何が面白いんですか」って言ってあまり買い取ってもらえなかったのです。売れなかったらそのままお店の赤字に直結しますから、仕方のないところです。結局こちらで3000枚ぐらい用意したものが、最初は全国で350枚しか買い取ってもらえなかった。それでこっちもガーンと気分が萎えてしまって、尚且つ発売日を1995年の8月19日でした。

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