引っ越しがなければ、やめる気などないとも話していた。言葉の行間から、店を閉じざるを得ないやるせなさを、感じる。
「築地は古く、きたなく見えるって言う人もいるけど、市場ってそういうものじゃないですか。工場みたいにビシッとしていればいいのでしょうか。きたないのと不衛生なのは違いますから」
森田さんはそう話すと、奥から小さなデジタルカメラを取り出し、この間撮りだめてきた築地の写真をみせてくれた。そこには、ただシャッターを切っただけではない、審美眼を感じる写真が、何枚も保存されていた。
取材を終えた私に、森田さんはむき身のエビが入った包みをみせた。
「細くたたいて、エビの3分の1の量の玉ねぎを刻んで、卵を溶いて、まとまらなそうならばかたくり粉を入れて。で、これくらい(小判状)にまとめてフライパンで焼いて食べてみて。味付けは、大根おろしとポン酢がオススメ」
売り物のエビを包むのと同様にろう紙に包み、きっちりと余った部分を折り込んで、保冷剤とともにさらに厚手のビニール袋にくるみ、奥の棚から出した手提げの紙袋に入れて、私に手渡してくれた。むき身であっても、手渡す最後まで手を抜かないのは、なんとも森田さんらしい。
自宅に戻った私は、その日の夕方、いただいた包みを開いた。頭と殻のついた状態だったなら、いったいいくらになるのだろう。あの水榮のエビをたたくなんてぜいたくすぎるとちゅうちょしたが、森田さんの言うとおりにするのが最善であるはずと、思い切って全てのエビをたたいた。森田さんは、料理教室で教えていたこともある。いつも、「料理は心」と教えていたとのことだ。私も、心をこめて、調理した。
油を引いたフライパンに種をのせるとたちまち、台所中が濃厚なエビの香りで満たされた。用意した日本酒に口もつけずに、さっそくほおばってみる。エビってこんなにうまいものだったんだと、しみじみ感じさせられる味わいだった。水榮のエビを味わえたことに、心底満足だった。
水榮が店の幕を閉じようとも、水榮のエビは、目利きとなった板前さんを介して、これからもずっと、引き継がれていくに違いない。
岩崎有一(いわさき・ゆういち)
1972年生まれ。大学在学中に、フランスから南アフリカまで陸路縦断の旅をした際、アフリカの多様さと懐の深さに感銘を受ける。卒業後、会社員を経てフリーランスに。2005年より武蔵大学社会学部メディア社会学科非常勤講師。アサヒカメラ.netにて「アフリカン・メドレー」を連載中