エビ専門の卸の歴史は江戸時代の初期にまでさかのぼることができる。徳川家が江戸に幕府を設置する際、大阪の住吉神社付近に集まっていたエビ専門の漁師を、江戸に連れてきたことにはじまる。当時の魚河岸は、現在の日本橋三越本店から昭和通りにかけてのあたりにあり、以来代々にわたって、日本橋の河岸から徳川家にエビを献上し続けてきた。
先代である森田さんの父親は、日本橋魚河岸時代にエビ専門店「中榮」で修行をした後に、大卸の「東水」で経理を担当。日本橋魚河岸は1923(大正12)年の関東大震災で壊れてしまったが、1932(昭和7)年に「水榮」の屋号とともにエビ専門店を築地に創業した。
一時は美術の道を目指していた森田さん。美術学校に行かせてほしいと父親に頼み込み、朝は仕事を手伝いながら、専門学校でデッサンやクラフトを学んでいた。しかし、学校卒業後はすぐに店に入り、以来50年にわたって水榮のエビを守り続けている。
私が取材した際の、築地市場での車エビの総入荷量は約1.2トン。この日は天候が悪いことが原因で、入荷量が少なかった。森田さんは入荷量の動向を把握するため、エビがあげられる地域の天気のチェックを欠かさない。
荷主(エビを販売する漁師や業者)のことも、よく学んでいる。九州からの入荷が多いのですねと私が話をすると、うんとうなずいて、奥にしまってあったノートから、地図のコピーをみせてくれた。水榮に並ぶエビの荷主の地名がすべて、ピンクの蛍光ペンで塗られていた。エビの荷主の北限は八郎潟だが、今の時期は鹿児島や三河からのものが多いという。
「不思議なものでね。鹿児島のエビは、火山灰が海底につもっているからか、エビの殻が黒っぽいんです。沖縄にはサンゴ礁があるじゃない。だから、沖縄のエビは白っぽいの。面白いよね」