そんなフィリピンパブが集まっているのが、東京で言えば台東区・上野、墨田区・錦糸町、そしてここ足立区・竹ノ塚だ。

 このなかで、街の規模は竹ノ塚がいちばん小さい。30年ほど前までは、雑木林が生い茂る場所だったという。それが高度経済成長期に宅地化が進み、ベッドタウンとして発展した。とはいえ駅前の繁華街は徒歩で15分もあればひとまわりできる程度だ。

 フィリピンパブが密集しているのは東口の一角で、半径200メートルほどだろうか。えんぴつのような細長いビルがいくつも立て込み、小さな看板が踊る。フィリピンの地名やタガログ語を店名とした店が密集する。およそ50軒のフィリピンパブがあることから「リトル・マニラ」とも呼ばれている。

「どうして竹ノ塚なのか、私たちもわからないんだよね。はじめに誰かが店を開いて、そのつてでどんどん増えていったと思うんだけど」(アニーさん)

 とくにこの5年ほどで急増したという。

「私はマニラの南のラグーナという街で生まれ育ったけれど、同じような下町の安心感が足立区にはあると思う。気取らない、自分のままでいられる。足立区で気取ったってしょうがないでしょ(笑)」(アニーさん)

 竹ノ塚を拠点におおぜいのフィリピン人が暮らしているが、食材店兼フィリピンレストランが1軒のみ。仲間たちが集まる特定の場所があるわけではないという。故郷の食材や調味料なども、日本では高いので、誰かが里帰りするときにお土産として買ってきてもらう。竹ノ塚から2駅先の梅島に、英語のミサも行うカトリック教会があるくらいで、ふだんの生活は足立区の日本人たちのなかに溶け込んでいる。

 アニーさんはフィリピンで日本人の夫と出会い、結婚を機に来日した。タレントではない、当時では珍しいフィリピン人女性だったかもしれない。

 当初は言葉がわからず、苦労ばかりだった。助けてくれたのは自治体だった。足立区は日本語のわからない外国人を対象に、ボランティア教師による日本語教室を開催しているのだ。

「その頃の代金は、1か月300円の“お茶代”だけ」(アニーさん)

 授業は厳しかった。発音や言い回しなど、正しい日本語になるまで徹底的に勉強させられた。あいうえおから漢字の書き順まで指導を受けたおかげで、いまでは読み書きも達者だ。

 日本語を学んでからは、北綾瀬のスーパーマーケットの青果コーナーで働いた。その後は北千住にある日本のスナックで、ただひとりの外国人として夜の仕事もはじめるようになった。

「フィリピン人のなかではなくて、日本人に囲まれて働くのが好きだったの」と語る。昼も夜も働いて祖国に送金をし、親戚の子たちをいい学校に行かせたいという動機もあった。

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