新宿区、大久保。この街は東京を、いや日本を代表する外国人街かもしれない。
アジア系、インドや中東系、欧米系……さまざまな顔をした人々が歩く。看板に並ぶ言語も雑多だ。中国語、ハングル、ベトナム語、タイ語……ここはいったいどこの国なのだろうか。不思議な気分になってくるが、このごった煮感が楽しいともいえる。
外国人街としての基礎をつくってきたのは、韓国の人々だ。
きっかけのひとつは、1988年のソウルオリンピックだといわれる。この辺りには1950年代から韓国の人々が住んでいたが、オリンピックに前後して韓国社会の国際化が進み、経済力も上がってきたことから、新たに来日する人が少しずつ増えたという。
そして1989年には海外旅行が自由化。これを機に留学生が急増した。欧米を目指す韓国人も多かったが、まだバブル経済のなかにあった日本に留学する若者も急増した。彼らのコミュニティーがあった場所のひとつが、歌舞伎町であり、大久保だ。
大久保通りと職安通りを結ぶ「イケメン通り」と称される小道の左右には、韓流アイドルのグッズ店、韓国系のコスメ、焼き肉屋などが並び、平日の昼間でも日本人女性の姿が目立つ。
イケメン通りを南下し、職安通りに出て、左手に見えてくるスーパーマーケットが、韓国系食材店の中でもとりわけ多彩な品ぞろえと人気を誇る老舗「韓国広場」だ。
「いつもソウルとリアルタイムで同じものを、人気商品を提供するというのがコンセプトです」
と店長の尹春基(ユン・チュンギ)さん(48)は語る。日本に来てもう20年になるという。親や祖父の世代から日本に住んでいた、いわゆる在日韓国人ではなく、自分たちの代で韓国からやってきた「ニューカマー」だという。
「もともとは留学で来ていたんです。家内も一緒でした。当初は韓国に帰国して就職するつもりだったんですが、家内はもう少し勉強したいと。そのうち子供もできて、だんだん生活の基盤が日本になっていって、あっという間に20年ですね」(尹さん)
食を中心とした韓国の文化を紹介したい、という思いで「韓国広場」が開業したのは1992年のこと。当初は日暮里にあった。職安通りに移ったのは1994年で、その3年後に現在の場所に落ち着いた。
そのころ、韓国レストランなどが密集していたのは職安通りの南側、歌舞伎町だった。韓国クラブもひしめいていた。しかし2000年代初頭、当時の石原都知事は、「浄化作戦」と称して、暴力団関係者や、不法滞在の外国人などを徹底して取り締まった。結果、歌舞伎町から、職安通りを挟んだ大久保へと、韓国人たちは移っていったという。
そんな大久保は、サムギョプサル(豚のばら肉)の焼き肉専門店がいくつかできたことや、韓流の原点ともいえる、チョー・ヨンピルやケイ・ウンスクに代表されるような「トロット」(韓国演歌)を紹介する音楽やグッズの店があったことで、韓国好きの日本人の間では「知る人ぞ知る」街になっていった。
大久保が一気に脚光を浴びたのは「冬のソナタ」に端を発する熱烈な「ヨンさまブーム」だ。