●お諏訪さまってどんな神さま?
諏訪大社は平安時代初期にすでに御柱祭の記載があることなどから、極めて歴史のある神社だが、創建や御柱のいわれなども含めて、不明なことが多くある。「諏訪大社七不思議」という言葉があるほどだ(不思議は7つ以上あるのだが)。これは、諏訪大社の神官である諏訪一族と武田信玄と戦いによる混乱があったことや、織田信長軍の焼き打ちにあったため、古くからの記録が失われたことにより、より謎が多くなったのだろう。
諏訪神は、軍神・狩猟神・農耕神として歴史に名を残す著名人たちからの帰依も多く、水・風・鉄をつかさどるパワーを持っているとも言われている。この多彩な御利益の広がりから、いろんな神さまが習合してしまっているのでは、とも考えられる。実際、上社は狩猟的、下社は農耕的な祭事が多い。信州で信じられていた、いろんな神さまがお諏訪さまとして、ひとつの神さまにまとめられたとも言えなくもない。
●鹿島神宮と諏訪大社の関係は
諏訪大社にはご神体が祭られている本殿がない。参拝するための拝殿はあるが神さまが鎮座するのは守屋山という神山である。この山は南アルプスの北端に位置し、諏訪湖のから見ると南側にある。多くの有名な山々に囲まれながら、信州随一の神社が標高1650メートルの山をご神体にしていることに驚きを隠せない。
ところで、諏訪大社の祭神タケミナカタと戦った神さまタケミカヅチは茨城県の鹿島神宮の神さまだ。守屋山から見ると鹿島神宮はちょうど真東に位置する。そう、勝った方は日が昇る位置にあるのだ。神話の中のエピソードながら興味深い位置関係である。
また、いくつかある伝承のうち、「御柱」は結界である、との説もある。この地に留められているタケミナカタを外に出さないようにするため、あるいは逆に外部からの侵入を防ぐためのものかもしれない。「守屋」の名前も何やら関連を感じさせる。
●善光寺と諏訪大社の関係は
ところで、鬼門と裏鬼門の年に行われる、善光寺のご開帳と諏訪大社の御柱祭だが、どちらも穢れや禊に御利益があると言われている催事である。それほどに昔から、災害や厄難が重なる年回りとして認識されてきたのだろう。
さて善光寺で6年に1度ご開帳になるのは本尊ではなく本尊を模したお前立ちで、本尊は今では善光寺の関係者でさえその姿を拝むことができない、絶対秘仏となっている。
飛鳥時代に伝来した仏教は当時の有力氏族の物部氏と蘇我氏の争いの火種のひとつとなるのだが、この争いの中、最初に日本へ到達した仏像は流され、それを拾い祭ったのが善光寺の始まりといわれる。この時強硬に排仏を唱え、迫害したのが物部守屋である。「守屋」といえば諏訪大社の神山の名ではないか。こののち、やがて物部氏は日落ちるがごとくの没落の道を歩んでいく。
信州に残る伝承に善光寺のご開帳は諏訪大社の前哨戦とか露払いだとかいうものもある。諏訪大社が本当に祭り、崇めている神さまはいったい誰なのだろうか?(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)
※善光寺の御開帳は6年間隔の丑(うし)年と未(ひつじ)年に開催される。一般的には「7年に1度」と言われるのは、開帳の年を1年目と数えるためである。
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