興行ビザの取得が難しくなったのは2005年ころからだ。興行ビザへの国際社会からの批判もあったが、不法滞在者が起こす犯罪への対応をめぐる省庁間の綱引きの結果でもあった。2010年には、日本に入国したフィリピン人の数が、年間1千500にまで激減している。フィリピン女性の捨て身の誘惑への手段がなくなってしまった。
フィリピンパブで働いた女性たちは、のべで100万人を超えているといわれる。日本に足場を築いた女性も少なくない。最近、日本に行くフィリピン人の多くは親族訪問でビザをとるのだという。フィリピンのことだから、そこには書類の偽装や結婚がついてまわるが。
マニラのカラオケクラブで働くひとりのホステスがこういっていた。
「今、お手伝いさんのビザ申請の結果を待っているの。本当は介護らしいんだけど」
いまのマニラは好景気に沸騰している。日本とかかわっているうちに、フィリピンのバブルに乗り遅れてしまった女性も少なくない。永住権を取得するために日本で頑張った女性たちだ。うまくいかずに帰国してみると、フィリピン経済が好転してきていた。日本での年月は肌のしわをつくり、ホステスはもう難しい。日本人向けカラオケクラブのママの職も少なく、また日本……と考える女性もいる。
東京行きの便は満席のようだった。ラフな格好のフィリピン人が多い。いまのマニラの空港に出陣式の気配はない。
(旅行作家・下川裕治)
下川裕治(しもかわ・ゆうじ)
1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など