米太平洋艦隊が停泊する真珠湾に開戦と同時に奇襲攻撃し、米国民の戦意を失わせ、早期講和に持ち込む、そんな方針が搭乗員に初めて伝えられた。模型を使い、真珠湾周辺の防空陣地や飛行場、艦船の位置を示しながら、細かく作戦内容が説明された。加賀の攻撃隊は真珠湾に浮かぶフォード島周辺の戦艦群を攻撃するという方針も伝えられた。前田氏は、その時の心境をこう振り返る。
「開戦の気配は感じていたが、日本の何十倍も国土が広い米国と本当に戦火を交えるとは正直驚いた。絶対に生きて母国には帰れないと覚悟をした」
11月26日午前6時、いよいよ艦隊はハワイに向けて出港した。艦内には大音量で軍艦マーチが流された。血湧き肉躍る心地で外を見ると、出撃を祝うかのように、戦艦や巡洋艦が、択捉島の山並みに向けて砲撃した。砲弾で氷雪が吹き飛ばされる光景は壮観だった。
真珠湾攻撃2日前の12月6日。夕食時の搭乗員室で、艦長から整備員まで多くの関係者が参加した盛大な送別会が開かれた。席上、飛行隊長を務める橋口喬少佐はこう訓示した。
「この酒宴を最後に、攻撃終了まで一切のアルコールを禁止する。だから、今夕は心ゆくまで飲んで英気を養ってほしい」
四斗樽を開き、作戦成功を祈って乾杯した。上下関係が厳しい海軍でも、この日ばかりは無礼講だった。部下に頭からビールを浴びせられた艦長や飛行隊長が、逃げ惑う姿があった。室内はこぼれた酒やビールで水浸しになっていた。そして、搭乗員全員が酔いつぶれるまで、宴会は果てしなく続いたのだった。
12月8日早朝、日本艦隊はハワイ沖に迫っていた。朝食は、普段の質素な食事と異なり、赤飯と尾頭付きだった。飛行服に着替えて、出撃する準備を整えた。前田氏は、艦内の「加賀神社」と呼ばれた神棚に向かい、手を合わせた。
(自分の命がなくなってもいいので、どうか発射した魚雷を敵艦に命中させてください)