2015年3月に開かれたクラブと市民らの交流会の様子 (NOMOベースボールクラブ但馬後援会提供)
2015年3月に開かれたクラブと市民らの交流会の様子 (NOMOベースボールクラブ但馬後援会提供)
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宴会の準備をする柴田さん(右)に温かく指導する後藤さん(城崎温泉のしののめ荘で)
宴会の準備をする柴田さん(右)に温かく指導する後藤さん(城崎温泉のしののめ荘で)

 2013年、堺市から兵庫県豊岡市に移転した、元大リーグ投手、野茂英雄さんが代表理事を務める「NOMOベースボールクラブ」。2013豊岡を移転先に選んだのは、「働けるところがあって、住むところがある」という理由も大きかったという。選手たちは日々の練習に取り組みながら、志賀直哉の短編小説「城の崎にて」の舞台であり、外湯巡りが有名な地元の城崎温泉の旅館で、アルバイトとして働く。

 今春高校を卒業し、入団したばかりの内野手、柴田賢司さん(18)は、朝からお昼過ぎまで練習した後、午後4時から旅館「しののめ荘」に出勤する。温泉に入り、作務衣に着替えると、すっかり仕事モード。階段が多く、迷路のような館内をぐるぐる回りながら、宴会の準備や客室への配ぜん、料理の説明、布団の準備などをこなす。

 その合間に夕食をとり、仕事が終わるのは午後9時。最後に再び温泉で汗を流し、同じ旅館で働くクラブの先輩らと暮らす寮に帰る。午前0時ごろに就寝。翌朝は午前7時半に寮を出て練習に向かう。練習と仕事で、1日が終わるのはあっという間。疲れが溜まって休日は一日中寝てしまうことも多いのだという。

 社会人野球の新日鐵堺でもプレーした野茂さんには、「人間として成長するため、選手には野球だけでなく仕事も頑張ってほしい」という思いがあった。市はクラブの選手たちが生活費を稼ぐための仕事先として、温泉旅館を確保。約80施設でつくる城崎温泉旅館協同組合が、全国から集まってきた選手たちをそれぞれの旅館に振り分けている。

 組合側に、選手を受け入れることへの戸惑いはなかったのだろうか。組合の芹澤正志副理事長は、「野茂さんという大変重たい人が代表を務めるチームなのでプレッシャーはあったが、反対する声はなかった。いろいろな人が訪れる温泉地という土地柄もあったのでしょう」と話す。移転に合わせて、組合が中心となりクラブの但馬後援会も設立した。

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