バブルの時代の1987年にボジョレー・ヌーボーのブームが起こりました。このときのワイン消費量が更新されたのが、1998年です。
輸入自動車の登録台数が史上最高に達したのも、1996年。その後も、やや数値は落ちこみますが、一貫してバブル期よりも多くの輸入車が購入されています。「外国車に乗る」という習慣が定着したのは、「バブルが弾けてから」だったことがわかります。
これらの事実が示すように、1990年代後半には、「消費文化」に新展開が起こりました。
1980年代に「若者」だった世代は、学生のころに「消費文化」の一端に触れています。1990年代後半、30歳前後になった彼らは、今度は自分たちが主役になって「消費文化」を追求しはじめたのです。
新卒学生の就職状況は、バブル崩壊後、厳しくなりました。けれども、そうなる前に「恵まれたところ」に就職した層は、それほどダメージを受けませんでした。不況になっても経費をカットされるぐらいで、賃金が減るような目には遭わなかったのです。このため30代に入るころには、学生時代よりはるかに多くの「自由に使えるお金」を手にしていました。
さらに、1990年代後半の欧米は好景気に沸いていました。欧米コンプレックスの強い日本人は、彼の地におけるバブル的風潮によって、消費衝動を強烈に刺激されました。
こうして、1980年代に青春を送った人々がおもな担い手となり、日本の「消費文化」は世紀末以後、新たに発展します。日本で飲める高級ワインは、バブル期と比較にならないほど多様になりました。男性ファッション界をクラシコイタリアが席巻しはじめたのもこの時期です。既製・仕立てを問わず、さまざまな「イタリア服」が紹介され、「アルマーニだけ着ていればいい風潮」は終わりました。
しかし、2008年のリーマンショックによって、先進諸国の「消費文化」はいっせいに衰退に向かいます。欧米でもこのときバブル景気が終わり、いたずらにモノや金を消費するライフスタイルは、「時代おくれ」と見なされるようになりました。
「消費」ばかりをおもんじる姿勢が欧米で否定されると、欧米志向のつよい「日本のトレンド・ウオッチャー」もそれにならいます。リーマンショック以後、「消費文化」は日本でも、急速に「終わってしまったもの」扱いをされはじめます。
小泉今日子は、「消費文化」の終焉にともなうこうした変動とともに「再浮上」しました。いったいそこにはどういう力学が働いたのでしょうか。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など