頭に雲を抱く硫黄岳。島周辺の海は硫黄岳からの成分により褐色に染まっている。(写真提供:三島村役場)
頭に雲を抱く硫黄岳。島周辺の海は硫黄岳からの成分により褐色に染まっている。(写真提供:三島村役場)
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日本ジオパーク認定に取り組む大岩根尚さん。(写真提供:三島村役場)
日本ジオパーク認定に取り組む大岩根尚さん。(写真提供:三島村役場)
硫黄島の硫黄で作った線香花火の美しさに参加者は感激した。(写真提供:三島村役場)
硫黄島の硫黄で作った線香花火の美しさに参加者は感激した。(写真提供:三島村役場)

 鹿児島県薩摩半島の南方沖約50kmのところに、今から約7300年前、爆発的噴火を起こし、その火山灰は東北地方まで到達したと言われている火山の名残、鬼界カルデラがある。鹿児島県三島村の硫黄島は、その鬼界カルデラの縁にあり、活火山硫黄岳を抱く島である。硫黄岳は今も噴煙を上げ、そこから出る成分(鉄、シリカ、アルミなど)が流れ出て、島の周りの海を黄色や赤、黄緑など7色に染めており、その外側に広がる青い海とのコントラストで不思議な景色を作っている。

 硫黄島は、9世紀の日宋貿易で日本が輸出した硫黄の産地のひとつである。「日宋貿易と『硫黄の道』」(山内普次 著)によれば、宋が西夏(中国西北部に存在した王朝)との戦争のために火薬を必要とした際、原料の硫黄を日本から大量に買い付けたという記録があり、その硫黄の調達先のひとつが硫黄島らしい。「シルクロード」ならぬ「硫黄ロード」によって、九州の離島が中国とつながっていたというスケール感は、歴史好きの心をそそるものがある。

 スケール感は歴史だけでは無い。島を歩いてみると、定期船「フェリーみしま」が着岸する港のすぐ横には鬼界カルデラのカルデラ壁が高さ80mの迫力でそそり立つ様子に圧倒されるし、矢筈岳(349m)、稲村岳(236m)、そして今も噴煙を上げる、ひときわ高い硫黄岳(704m)という3つの山が連なる様子はダイナミックそのもの。硫黄岳は山頂までの登山はできないが、晴れていれば、ふもとからでも噴煙を噴き上げる様子、硫黄を含んだザラッとした感じの山肌を見ることができる。それはまさに、「地球が今も活動し、生きている」ことを生で実感できる瞬間だ。

 この島では平安時代から硫黄の採掘が行われ、1964年(昭和39年)まで硫黄鉱山として稼働していた。その後も硫黄岳は硅石の鉱山として栄えたが、この鉱山が閉鎖されてからは、人口減少が続いている。

 しかし、今、この島は活性化に向けて新たな試みを始めている。硫黄島は、隣の竹島、黒島と合わせて「三島村」を形成しているが、現在、三島村では日本ジオパークへの認定を目指しているのである。そのためのスタッフとして、三島村役場で活躍する大岩根尚さん(33)がいる。大岩根さんは東京大学大学院で博士号を取得後、国立極地研究所(極地研)に所属し、環境変動をテーマにしている。南極へも調査に行ったという異色の経歴の持ち主。

「研究を進める中で、自分はデータを解析して論文を書き続けるより、人と会って研究の内容を話し、伝える方が向いているし好きだな、と思っていたんです。研究者になっていくのかどうしようかと悩んでいるときに、恩師から『硫黄島でジオパーク立ち上げの職員を募集している』と話を聞いて興味を持ちました」(大岩根さん)。

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