「容量は通常の液状タイプが245ミリリットル缶から2リットルのペットボトルまで10種。形状・摂取シーンではドリンクのほかに、パウチ入りゼリー、粉末、スラリータイプがあり、お好みの用途に合わせたシーンで利用できます」

 こう話すのは市場調査会社、「富士経済」東京マーケティング本部第一部の新倉課長だ。

 風味の違いは姉妹品のポカリスエット イオンウォーターだけなので、「互いのカニバリズム(共食い)は最小限に抑えられる」(新倉課長)のも、ブランドの維持・育成には効果的だ。

 大塚製薬の研究者たちが真摯(しんし)に開発に取り組んだエピソードの数々。その一つに、甘味を左右する糖質濃度の判定を挙げることができる。

 徳島市のシンボル、眉山。映画やテレビドラマにもなった、さだまさしの小説の舞台としても幅広く知られるが、ポカリスエット誕生のエピソードを持つ“聖地”でもある。

 それは発売の1年前、79年秋。まだ暑さが残る頃だ。

 ふもとから頂上までを結ぶロープウェーの真下の登山道を登る一団がいた。徳島市内にある大塚製薬の研究所で、ポカリスエットを担当していた研究者たちだった。

「糖質濃度をどうするか? それを決めるため眉山に登って汗をかき、試作品を飲んでみようというわけです」

 かつて、こんな秘話を語ってくれたのは、当時の開発のキーマン・高市晶久氏(大塚製薬顧問)だ。

 その頃、他社の清涼飲料水の糖質濃度は10%以上。ベタベタするほどの甘さだ。

 しかし、ポカリスエットは、成人で1日に皮膚などから失われる約900ミリリットルの水分と電解質を補うことを目的に、飲み飽きないよう糖質濃度を低く抑えることを開発コンセプトとした。今までにない商品だけに、とことん味覚、風味、甘さにこだわった。

「糖度がコンマ数%だけ違う試作品の二者択一となり、まず研究所、そして頂上で両方飲み比べた。研究所では糖度の高いほうがおいしいと感じたのに、頂上では糖度の低いほうがうまかった。発汗の前後では、体が求めるものが違うことを実感したものです」(高市氏)

 ポカリスエットの発想が生まれたのは73年。この頃、後にポカリスエットの開発責任者となる播磨六郎氏(故人・大塚食品会長)は水分補給の必要性を感じる痛い体験をしていた。

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 新商品研究のために訪れたメキシコ。感染症による激しい下痢に見舞われ、病院に駆け込んだことがあった。その際、医師に「体内の水分と栄養が失われているから、とにかく水分を摂って、後で栄養も摂るように」と指示され、体調が回復した。

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