姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
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(c)朝日新聞社
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 新型コロナウイルスの国内感染者は1万人の大台を超え、東京都だけでも累計3千人を突破するという状況が続いています。こうした非常事態で政府の批判やそのやり方に苦言を呈することを憚(はばか)るような空気があるとすれば、事態をますます悪化させる要因になりかねません。なぜならたとえ非常の措置が必要であるとしても、その透明性と公開性、迅速性が担保されるには国民の信頼と協力が不可欠だからです。

 政府は国民に協力を求める前に「国を頼りにしてほしい」と国民に向かって言明し、だからこそ「協力してほしい」と「お願い」や「要請」のメッセージを国民に向けて発するのが筋です。なのに、一国の最高指導者が自らの責任についてお茶を濁したまま「協力」「お願い」「要請」を繰り返し、小出しに緊急措置を出しながら様子を見るという危機管理としても愚策としか言いようのない隘路(あいろ)に陥りました。そうなってしまったのは、責任の所在を曖昧にしたまま「お願い」「要請」への同調圧力によって国民の画一的な反応を期待できる「忖度政治」に慣れてしまったからでしょう。

「例外状況は常態の本質を照らし出す」と言ったのは、立憲的な法秩序の回復のために非常時の「委任独裁」を説いたドイツワイマール体制下の憲法学者カール・シュミットです。「コロナ危機」という例外状況の中、「忖度政治」の惰性で未曾有の危機に立ち向かおうとしている実態が明らかになりました。このままでは「敗北」は免れないと言えます。政権は一敗地に塗れるだけで終わるにしても、国民の中には失業や解雇、倒産や離散、場合によっては自死という、目を覆いたくなるような悲惨が待っているとしたら、ユーゴーの描いた『レ・ミゼラブル』の世界と同じです。

 今必要なことは、感染拡大の抑え込みにすべての資源とマンパワーを投入し、ロックダウンが必要な場合には思い切った補償措置とパッケージにして国民の生命と身体を死守することです。そうした強い措置は、透明性と公開性、国民の信頼なしには不可能です。そのためには厳格な法的安全装置をはめ、非常措置の乱用や逸脱を防ぐ工夫を施しておかなければなりません。

AERA 2020年5月4日号-11日号