「スラム街の子どもたちがゴミを丸めたボールで遊び、ゲラゲラ笑っている。その姿を母親たちが穏やかに見つめている。日本で暮らす僕たちが月に1度、感じるかどうかの幸せな時間。そんな場面に何度も出合い、幸せの定義に疑問を感じるようになった。僕たちはいつの間にかテレビを通して、『こうあるべき』という幸せの条件を刷り込まれている。でも本当にそうなのか。そろそろテレビは違う姿を伝える必要があるんじゃないかと考えたんです」

 戦争や貧困を扱うドキュメンタリー番組は多くあれど、「ハイパー」が新鮮なのは、食べる行為を柱に据えたことだ。

 取材対象が視聴者の生活とかけ離れた環境に暮らすだけに、ストレートに放送したのでは視聴率は取れない。貧困や反社会性と対極にあるグルメと組み合わせれば、エンタメ性が生まれ、ドキュメンタリーに馴染みがない人にも観てもらえる。

 実際、観ていると、自分の生活と地続きに思えてくる。親しみを感じ、食欲を刺激されるのはカメラワークの力が大きい。

 ロケの手法はゲリラ的だ。低予算のため渡航はディレクター1人。人探しは訪問国に入ってから。現地ガイドが地理のサポートをしてくれるが、取材対象者を探し出し、撮影に成功するかどうかは、ディレクターの勘と経験にかかっている。失敗を避けるため事前に詳細を決めるテレビ制作ではレアな手法だ。

「僕らが汗をかきながら、自分の足で探して人と出会う。その交流のすべてに物語がある」

 冒頭で紹介したリベリア人女性のラフテーさんは、上出さんに番組の成立を確信させた印象深い相手だ。彼女は両親を殺され、11歳で兵士として内戦に叩き込まれた。ラフテーさんのような少年少女兵は恐怖心を失わせるためコカイン漬けにされた。終戦後は社会から忌避すべき存在として放置され、警察さえ近寄らない墓場で雨露をしのぎながら、共に暮らす。

 ラフテーさんが食事できるのは娼婦として通りに立ち、相手が見つかったときだけ。1回の仕事で得る代金はほぼ1食分だ。

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