開幕投手はエースというのがほぼお約束だが、時には「えっ、どうして?」と思わず目が点になるようなサプライズ起用も見られる。
「プロ野球史上最大のサプライズ起用」として、今も語り継がれているのが、2004年の中日だ。
同年は、前年チーム最多の12勝を挙げた平井正史をはじめ、野口茂樹、山本昌、川上憲伸とエース級が顔を並べ、スポーツ紙は開幕投手を野口と予想していた。
ところが、就任1年目の落合博満監督が指名したのは、なんと、右肩故障で3年間1軍登板のない川崎憲次郎だった。しかも、決断したのは、年明け早々の1月3日だったというから、二度ビックリである。
「チームを生まれ変わらせるために、3年間最も苦しんだ男の背中を見せなければならない」というのが理由だった。開幕戦を「144(試合)分の1」に見立て、「シーズンに最低でも50敗はするのだから、そのうちの1敗が開幕戦でもおかしくない」と割り切っての大胆起用は、復活を目指す川崎が戦力として計算できるか、シーズン最初の試合で見極める意味合いもあった。
かくして、川崎は4月2日の広島戦(ナゴヤドーム)で、ヤクルト時代の00年10月6日の阪神戦以来1274日ぶりに1軍のマウンドに上がる。
初回こそ3人で抑える無難の立ち上がりも、2回は1死しか取れず5失点KO。「やはり無理だったか……」とファンはため息をついた。
ところが、0対5の劣勢から怒涛の反撃が始まる。その裏、中日打線は、前年3敗を喫した“天敵”黒田博樹に3長短打を浴びせて2点を返し、6回に追いつくと、7回に一挙3得点で鮮やかな逆転勝ち。「川崎が一生懸命投げていたから、何とか逆転してあげたかった」という立浪和義の言葉が、全員の気持ちを代弁していた。
チーム一丸となって“負け試合”を勝利に変えた中日は、開幕3連勝と勢いに乗り、5年ぶりV。「チームを変える」という落合監督の作戦は、見事結実し、開幕戦で“使命”をはたした川崎も、優勝を手土産に同年限りでユニホームを脱いだ。