しかし本作の着ぐるみの頭部は、ほぼ松重さんにフィット。頭とボディーの間から筋張った首がのぞいてるし、全身のフォルムはタラーッとしていて、ほぼ日曜日のおじさんジャージー。これはもはや猫村さんというより、おじ村さんである。
そんなおじ村さんがおつかいの途中、河原の日なたで拳を丸め、くるくると顔を洗う。テキパキと家事をこなしつつ、すぐにゴロンと座布団の上に寝転がる。
悦子が拳でくるくる顔を洗っていたら、やばい、この後絶対油なめる(=化け猫)と、戦慄(せんりつ)するが、おじ村さんはのどかだ。圧迫感がない。たとえ扉のすき間からのぞいていても、おじ村さんなら大丈夫(ミタゾノさんはかなり悦子系なのでだいぶホラーだが)。
そんなおじ村さんドラマ、なんと本編2分30秒だ。短い。え、もう終わり?てくらい短い。この起承転結のない「ちょっとずつ感」が不思議でいい。むしろ視聴者の方が、猫村さんたちをのぞき見してる感覚。
そしておじさんと猫が究極の癒やしなのは、動物写真家・岩合光昭さんが証明済み。どうせなら、きょうのおじ村さんをよしよしする「きょうの岩合さん」という、おじさん全部のせ、みたいな神回が見たいよね。
※週刊朝日 2020年5月29日号