黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する (写真=朝日新聞社)
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※写真はイメージです (GettyImages)
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 ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は就職活動と新人社員時代について。

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 レナウンが経営破綻(はたん)した。長年の不振にコロナが追い打ちをかけたのかもしれない。一時は世界でも最大手といわれたアパレル会社の終焉(しゅうえん)だった。

 実はわたし、レナウンの入社試験を受けたことがある。1972年の夏、大阪市西区新町のレナウン(大きなビルだった)に行き、筆記試験のあと、面接室の椅子に座ったとたん、脚を閉じなさい、と面接官にいわれた。はいはい、と膝(ひざ)をそろえたのはいいが、「髪が長いね」とえらそうにいう。そのころ、わたしの髪は肩まであった。「髪を切りますか」「切ってもいいですよ」「君は入社したら、一生、勤めますか」「いや、分からんですね。将来のことは」

 こんな学生を誰が採用するのか、といまは思う。

 四回生のころ、わたしはよめはんと同棲(どうせい)していた。彫刻科の学生だったから“原型師”のようなバイト(東映の大道具やイベントの原型──実物大のゾウやキリンを作っていた)をして月に十万円以上を稼ぎ、小遣いにはまったく困っていなかったが、よめはんと結婚するにはちゃんとした固定給が必要だと考えて、夏休みのころから就職活動をはじめていた。

 会社訪問はワコールとサン・アドに行った。ワコールは彫刻科の先輩がいて、下着モデルのかわいい子とお知り合いになれるかと思ったが、その年は採用なし。サン・アドは京都芸大が指定校ではない、ということで諦めざるをえなかった。

 ま、原型師で食うか──。と気楽にかまえていたところへ、彫刻科の教授が「ダイエーでひとり彫刻の卒業生が欲しいというてる。誰か行くか」ときた。

 誰も手をあげないから、わたしがあげた。ダイエーが映画の大映ではなく、スーパーだというくらいの認識はあった。

 試験も受けずにダイエー社員となり、新人研修で京橋店に行かされた。一週間ごとに衣料、電器、食品──と売り場を移動し、一カ月後に本社建設部の店舗意匠課に配属された。ダイエーはその前年、売上高で三越を抜き、飛ぶ鳥落とす勢いだった。

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