政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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渦中の検察ナンバー2の不祥事による辞任、さらに国家公務員定年延長と「束ね法案」となった検察庁法改正案をめぐる官邸と政権与党の迷走ぶり。政府の統治能力は機能不全に陥り、末期的な症状を呈しつつあります。
パンデミックという例外状況で、国民の支持と信頼を勝ち得る統治能力がなぜ発揮できないのでしょうか。現在の政治の体たらくを憲法のせいにするのはお門違いです。「平和ボケ」を揶揄していた人々がそのトラップに足をすくわれ、「友と敵」「内と外」「日本と外国」という単純な二項対立を突き崩す新型コロナウイルスの蔓延にたじろぎ、動転しています。
勇ましい愛国心を鼓舞し、外の脅威を喧伝し、国防の大事を吹聴していた政治家や学者、ジャーナリストやメディア関係者にとって、国家至上の軍事力やハードパワーを競うような安全保障とは違う「人間の安全保障」という有事の課題は想定外だったのではないでしょうか。なぜなら、政治とは権力闘争であり、それは「おんな子ども」のあずかり知らない「おとこ」の世界の出番であるという根強いマッチョイズムに囚われているからです。確かにマックス・ウェーバーの古典的な定義が示すように、政治とは暴力の独占体である国家の権力の維持、配分、あるいは変更に関与する行動であり、その限りで政治は権力闘争の面を持っています。しかし、忘れてはいけません。その暴力の独占は、「正当性」(レジティマシー)がなければ、ただのアウトローの暴力と同じであり、「正当性」は権力闘争の勝ち負けからは導き出せないのです。もしそうなら「力こそ正義」になり、「正当性」を不問に付した強権政治と変わらなくなります。
「一強多弱」と呼ばれる安倍政権下で問われ続けてきたのは、この「正当性」でした。それをないがしろにして政治を権力闘争とみなしてきた政権の生理は、今や政権中枢内部の暗闘となり有事そっちのけで権力闘争を繰り返しているように見えます。この意味でまだ危機的な有事や例外状況にスイッチできない平時の「コップの中の嵐」が続いているのです。
※AERA 2020年6月8日号