思い出した。かつて学生の頃「黒いオルフェ」という映画があった。ファベイラの青年を主人公にした、カーニバルへの人々の熱狂ぶりを伝える映画だったと思うが、鬱屈した心を祝祭にぶつけて解放する。人が生きるとは何かを考えさせられた。

 しかし今、コロナが流行すれば、あっという間に蔓延する。常に人々は三密の中に暮らしていて、ファベイラ全体がクラスターになりかねない。大統領は最初は他人事のようだったが、ファベイラに暮らす人々の命も私たちの命も同じだ。

 ソーシャルディスタンスなど取っていては生きていけない。そうした環境にある人々のことを考えれば、私たちが少しぐらい耐えるなど何でもない。人と人との間に微風の吹く関係をとりもどすためには。

週刊朝日  2020年6月12日号

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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