

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人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、6月1日の花火を見ながら考えた日本の粋について。
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粋は心意気である。久々にそれを感じさせる出来事があった。
六月一日の午後八時、全国で花火が打ち上げられた。日本煙火協会青年部に属している若手職人らが企画したという。江戸時代に疫病対策として花火が打ち上げられた故事にならって、新型コロナウイルスが退散するようにと祈りを込めた。
花火には、そうした一面がある。新潟県の長岡の大花火は長岡大空襲の鎮魂の意味もあり、華やかさだけでなく一瞬きらめいて落下するその一片一片に人々の願いが込められている。
今回の花火も私はテレビに映ったものしか見ていないが、感動した。たぶん東京だとすれば多摩川の花火だろうか。
実家が世田谷の等々力にあった頃、二階の私の部屋に続くベランダから、多摩川の花火が見えた。土手堤に行くまでもなく、居ながらにして花火を楽しむことができた。特等席に大切な友達を招待し、ビールで乾杯したこともある。
今回の催しは観客の密集を避けるため、打ち上げ場所を公開せず、全国の約二〇〇カ所で約一六〇の業者が無償で参加したという。
日時も伏せられていたが、突然の音に驚かれることを考えて、寸前に公開された。
なんと粋でかっこいいことか。花火師といえば粋の象徴。今も脈々とその心意気が引き継がれているのだろう。
それにしても、実現するまでたいへんだったと思う。全国の花火師に呼びかけ、賛同の答えを得て、ひそかに準備するのだから。
各地の花火大会が続々と中止になるなか、集客など一切せず、むしろ誰にも知られぬように事を運ばなければならない。
五分間だけの打ち上げといっても、前もっての準備は大会と同様に手間がかかる。お金の工面も必要だったろう。
それを乗り越えさせた情熱……見る人に笑顔を届けたいという一途な思いが爆発した。そして医療従事者にエールを贈るために、青色の花火を。