ただ、長期安定の理由はもちろんそれだけではない。司会を務める恵の功績は見逃せないだろう。ではなぜ、彼がTBSの昼枠を立て直すことができたのか。鍵となるワードというか、人物は「長渕剛」だ。

 じつは恵、鹿児島市出身で、長渕と同じ公立中学に通った。恵はこの大先輩に憧れ、コンサートにも行ったという。その心酔ぶりを「ダウンタウンDX」(日本テレビ系)で語ったときには、浜田雅功から「おまえ、痛いやっちゃな(笑)」などとあきれられていた。

 しかし、本気で誰かに憧れることの効果はバカにできない。たとえば、野球界において、長嶋茂雄のマネばかりしていた中畑清がそれなりに長嶋っぽい人気選手になれたように、恵にも長渕イズムのようなものが刷り込まれ、それが成功へと導いていくのだ。

 そのひとつが「肉体改造」である。長渕は虚弱な子供で、少年期にはガリガリの体をプールで女子に笑われるなど、悔しい思いを味わった。それがのちの筋トレによるマッチョ化につながるわけで、似たコースをたどった作家の三島由紀夫同様、思想的にも右傾化していった。

 恵の場合は、肥満からのダイエットだ。ホンジャマカで世に出たときは石塚英彦が「大デブ」だったのに対し「小デブ」と呼ばれていたが、約20キロ痩せることで現在の体形になった。この変化が、キャラ立ちももたらすわけだ。

 そして、もうひとつが「他ジャンルへの進出」である。長渕は役者もこなすことでカリスマ性を高めたが、恵もまた、司会をやることで幅を広げた。グルメタレントとして売れっ子になった石塚との住み分けという意味もあったのだろう。ただ、適性に加え、努力もしたのだと思う。

 そんな恵の司会スタイルに影響を与えたのが、関口宏。なにしろ「東京フレンドパークII」(TBS系)では17年にわたって共演した。ホンジャマカとして着ぐるみでハイパーホッケーをしたりしながら、彼はその司会ぶりを見ていたのである。

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番組中にふかわりょうと“バトル”