大ヒットした『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家、ヤマザキマリさん。作家・林真理子さんとの対談では、14歳でヨーロッパへ一人旅したきっかけや画家を目指した経緯など話してくれました。
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林:私、ヤマザキさんの漫画はもちろん、エッセーとかいろいろ読ませていただいてます。『ヴィオラ母さん』もすごくおもしろかったです。
ヤマザキ:うれしい! ありがとうございます。
林:でも、お母さんの描き方ひどくないですか(笑)。写真を見ると楚々としておきれいな方なのに、髪がザ~ッとなってて。
ヤマザキ:月影先生(『ガラスの仮面』)みたいなね。実体は違うんですけど、中身はあれなんですよね。
林:『地球生まれで旅育ち ヤマザキマリ流人生論』を読んだら、お母さんすごいですね。14歳のヤマザキさんをヨーロッパの一人旅に出しちゃったんでしょう?
ヤマザキ:無謀に見えるんですが、母には実はストラテジー(戦略)があったんですよ。自分が行けなくなったから「代わりに行ってこい」と言われて、私は二つ返事で行っちゃったんですけど、そのときに「ルーブル美術館に行って見てこい」と言われたんです。それが母が私にさせたかったことなんですよね。
林:なるほど。
ヤマザキ:私、そのとき中学2年生で、進路指導の先生に「絵描きになりたい」と言ったら、「おまえ、飢え死にしたいって宣言したのと同じだぞ」みたいなことを言われて落ち込んでたんです。それでパリに行って、最後の3日間はルーブルに行ってウロウロ歩いて。モナリザには全く関心を示さなかったんだけど、古代ギリシャ時代の彫刻が衝撃的だったんです。2千年前にこんなのをつくった人がいるんだと思って。
林:ええ。
ヤマザキ:そのほかにもたくさんの絵画とか彫刻を見て、どの時代もごくわずかの表現者しか認められなかっただろうし、裕福な暮らしはできなかっただろうけど、今まで残してきた人がいて、今こうやって時空を超えて私たちの目に訴えかけている。お金にならなくても、誰かがやり続けていかねばならないことだと思ったんです。帰ってきて母にそれを言ったら、「あとはあんた次第よ。自分で決めなさい」って。それが母のもくろみだったんです。