林:ほぉ……すごいですね。私、娘がいるけど、そんなふうに海外には出せないです。
ヤマザキ:母は昭和の一ケタ生まれで、女は簡単に社会進出できない時代に親に勘当されて、楽器(ビオラ)一つ抱えて、自分とは縁もゆかりもない北海道に行って人生を開拓してきたという経歴から、「意志さえ強ければなんとかなる」という自信があったんでしょうね。
林:お母さん、もともとは白百合(女子大)出のお嬢さまなんですよね。
ヤマザキ:はい、小学校からずっと。世間知らずで、お金の使い方もよくわかってない。札幌交響楽団に行ったときも、お給料をもらうサラリーマンみたいなもんで、決して高給ではない。なのにものすごく高い楽器を買ってきて、「ごめん、今月は毎日枝豆食べよう」みたいな。だから必然的に、私たち姉妹も少ないお金でやりくりすることを迫られて。だけど私も母譲りで、お金が入ると漫画買っちゃったりするからダメなんです。妹は大変だったと思います。
林:当時は何を読んでたんですか。
ヤマザキ:「少年チャンピオン」ですね。「ブラック・ジャック」「ドカベン」「がきデカ」、萩尾望都先生の「百億の昼と千億の夜」……。一冊で信じられない世界が広がって、あれ一個が地球みたいなものだったんですよ。あれを毎週買うのが楽しみで。
林:後に『テルマエ・ロマエ』が大ヒットして、マンガ大賞をおとりになって、手塚治虫文化賞もおとりになりますけど、『テルマエ』が映画化されたとき、一悶着起こしちゃったんですよね。原作の映画化権料が少なくて。
ヤマザキ:金額の問題ではないんですよ。「著作権料の設定内容を作家にも開示してほしい。なぜ作家はカヤの外に置かれるのか」ということを言ったんですね。
林:でも、「映画化して本が売れるからいいじゃないか」って言われると、私なんか「はい、そのとおりです」なんて言いそうだけど(笑)。
ヤマザキ:私は訴訟大国イタリア育ちだからそう思えなかったんですよ。イタリアとかアメリカは版権がすごくしっかりしていて、弁護士とか自分のエージェントを通して、何度も何度も直しを入れながら交わすのが契約書なんですけど、日本は編集者が作家のエージェントを兼ねている。本が先に出てから契約書を渡され、解読できないでいると「皆と同じだから大丈夫」と納得させられる。