セトウチさんは、こんなワテの手紙を読んで、アーアー、とうとうヨコオさんも、あんなマスクアートばかり描いているうちに、ついに強度の認知症にかかってしまって、私より若いのに、可哀そうにと思っておられるんじゃないでしょうか。絵描きは小説家と違って、アホにならないと描けない職業なんです。ピカソも、デュシャンも、キリコも、マン・レイも、ピカビアも、皆んなアホになったから、人類の歴史に残るような芸術を作ったんです。まず、歴史に残るためにはアホにならなきゃいけません。
母の家宗は黒住教で、祖母は神主さんをしていました。ここの教祖の黒住宗忠神は一生かけて、「アホになる修行」をされた方で中里介山の「大菩薩峠」のモデルにもなっておられる。少々の頭ではアホにはなれません。頭デッカチの秀才には無理です。僕程度のアホでさえまだ悟れません。相当、筋金入りのアホにならないとあきません。なんとかセトウチさんとこの往復書簡を交わしている間に、少しでもアホに近づけられればと努力しているのですが、アホになるためには努力は禁物です。コロナは努力してもアカンということを教えているように思いません? コロナ終息のために政治家達は努力をしています。この努力によってコロナを追放するかも知れませんが、悟ることは無理でしょう。ハイ、今日はこの辺で。
■瀬戸内寂聴「マスクアート、ユーモア思い出させる革命」
ヨコオさん
梅雨で、じめじめした毎日ですね。私は晴れ女なので、雨の日は好きではありません。
「春雨じゃ、濡れて行こう」
なんて、月形半平太が、昔、昔、カッコつけて見栄を切った姿など、ぼんやり思い出しますが、舞台には雨など降っていませんでした。
おっしゃるように、寂庵は雨の日も美しく、この頃は毎日、沙羅の花が咲いては落ちをくりかえし見飽きません。
紫陽花も、植えた覚えもないのに、勝手に花をつけ、雨を物ともせず、開ききっています。
まさに浄土さながらの寂庵の中で、終日、うつらうつらしているのは、もったいない身の上です。