落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「夜の街」。
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前座の頃、「接待を伴った飲食」が大好きな先輩がいた。いや、今もいるが仮にSさんとする。Sさんは寄席の終演後、必ず「夜の街」に出掛ける。本来『前座』という身分に酒は御法度だ。でもまぁ、バレなきゃいいみたいな。それに『前座』は噺家のなかで一番下っ端のわりに、落語会のお手伝いなどで日々忙しく、年季が上になると懐が温かかったりする。Sさんは売れっ子だったので毎日飲みに行っても平気なくらい。
Sさんが上野の中通りという「夜の街」を歩いていると「S~っ!」と客引きのお姉さんが寄ってくる。カタコトの日本語で「キョウハヨッテカナイカ!?」「今日はいいや」「コンドハイツクルノダ!?」「またすぐ行くよ」「ゼッタイダナ! ユビキリマンゲンコ!」と言われ、『ユビキリマンゲンコ』をするSさん。「ユビキリマンゲンコっ!」という声が響く。「じゃあな!」とSさん。なんて大人な先輩なんだ!と思ったものだ。なんだよ、マンゲンコって。
このSさんに初めて「接待を伴った飲食」に連れていってもらった。ある日「お前にオレの遊びを見せてやるからついてこい」というSさん。上野の寄席の昼の部をつとめて外に出ると、夕方の5時。ちょっと歩くと前からカタコトのお姉さんが手を振って走り寄ってきた。「Sー! オソカタネ!」「すまねえ。ちょっと野暮用で」。トリの師匠から小言を食ってただけなのに。「じゃ行くか」。中通りとは逆方向に歩き、3人でアメ横へ。ウイスキーと乾き物、果物をそれぞれ持ちきれないくらい買い込む。カタコト姉さんに言われるがままに勘定を払うSさん。「コレモテヨ、コーハイ」と私に指図する姉さん。「いくら出したんですか?」「それぞれ5千円くらいかなぁ」とSさん。「オレ前座だから」と満更でもなさそうだ。