イチローと新庄剛志。
01年、同時にメジャーリーグに挑戦した2人のスターは、異なった道のりを歩んで来た。1人は天才打者として日米の記録を塗り替え続けた。そしてもう1人は記録以上に公私に強烈なインパクトを残した。
真逆な野球スタイルに感じる2人だが、『守備の名手』という部分は重なる。
時にファン同士で「どちらの守備力が上か……」と議論になることもあるが、なかなか素人目に分からない部分も多い。
そこで今回は、NPB史上に残る名外野手であり、イチローと新庄とともにプレーした経験を持つ本西厚博氏に、2人の守備について語ってもらった。
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ーー外野陣をまとめる資質があった新庄。
「守備に関して言えば新庄の方が上」
イチロー、新庄の両方とプレーした経験がある本西は、守備だけを考えれば新庄が上とズバリ言う。
「打球判断、捕球、送球のすべてのレベルが違った。野村克也監督が投手を考えたほどの肩の強さもあった。足も速かった。もともと内野手だったためフットワークも良い。外野手に必要なすべてを持ち合わせていた」
新庄とは阪神在籍時の97年途中から約1年半チームメイトだった。センター・新庄、レフト・本西という形が多かったという。
「守備に自信があったのだろう。左中間、右中間、かなり広い範囲までカバーしてくれた。守備位置では『この辺までは自分が行きますね』と指示もしてくれる。コミニュケーション能力も高かったので、その後の日本ハム外野陣の柱になったのもよくわかる」
日本ハム移籍後、森本稀哲、稲葉篤紀とともに『日本一の外野陣』と呼ばれた。それを中心となりまとめ上げていたのが新庄だったのは言うまでもない。
ーー進化を続け世界的外野手になったイチロー。
「新人時代から見てきたけど、最初はヒドかった」
イチローとはオリックス時代の92~97年途中まで、同じユニフォームを着た。田口壮を加えた外野陣は『鉄壁の外野陣』と評された。
「投手をやっていた肩の強さと足の速さは際立っていた。打球への反応は悪くても足の速さで追いつける。身体能力に頼った外野守備が目立った。プロレベルではうまいとは決して言えない部類だった」