街路樹がイルミネーションで輝き、子どもたちが、サンタさんからのプレゼントを心待ちにする季節が到来した。おもちゃメーカーにとっては一年で最大のかき入れ時だ。
しかし、そんなおもちゃ業界のリーディングカンパニーであるバンダイ(バンダイナムコグループ)の名に傷をつける事態が水面下で起きている。震源は、かつて同社の社長、会長を務めた創業家の「御曹司」だ。
旧知の関係者が苦りきった顔でこう語る。
「バンダイの創業者が私財を投じて設立した、障害児におもちゃを貸し出す事業を支援する財団があります。御曹司はその理事長に納まっているのですが、触ってはいけない財団の基本財産に手を付け、自身の会社の負債の穴埋めに使ってしまったようなのです」
会社法違反(特別背任)の疑いで逮捕された大王製紙の井川意高(もとたか)前会長を彷彿とさせる新たな「事件」が起こっているというのだ。
バンダイは1950年に東京都台東区で「萬代屋」として産声を上げた。創業者の山科直治(なおはる)氏は金沢市出身で、地元の商業学校卒業後、繊維メーカーに就職したが、一念発起して上京し、おもちゃの世界に飛び込んだ。当時の本社は30坪ほどの木造家屋で、2階が家族の住居、1階が倉庫兼用の店舗だったという。
当初はセルロイド製の人形やゴムまりなどを販売していたが、「もぐらたたきゲーム」や、「鉄腕アトム」といったキャラクター商品が次々とヒット。80年代に入ると「ガンプラ」(アニメ「機動戦士ガンダム」のプラモデル)が大ブームとなって業績を大きく伸ばし、グループ全体で年商約4千億円を誇る大企業になった。
「直治さんは創業者にありがちなワンマン社長でしたが、人情に厚く、社員から非常に慕われていました。97年に79歳で亡くなりましたが、バンダイを一代で業界トップに成長させた名経営者でした」(財界ジャーナリストの小宮和行氏)
この立志伝中の人物の跡を継いだのが、長男の山科誠氏(66)だった。
子どものころからシナリオライターや小説家にあこがれ、慶応大卒業後、小学館に入社した。しかし、希望した書籍編集ではなく営業担当になったこともあり、わずか2年でバンダイへ転職。28歳で取締役、35歳で社長になった。