「アイデアマンで、『たまごっち』を大ヒットさせるなど功績もありましたが、97年に旧セガ・エンタープライゼスとの合併話を独断で強引に進め、社員の猛反発を受けて頓挫。責任を取って社長を辞めました。趣味人といった風情の人物で、社長向きではないように感じましたね」(小宮氏)
社長辞任後も会長として経営に携わったが、業績悪化などの責任を取って99年に代表権のない名誉会長に。2004年には取締役からも外れた。それでもバンダイの5・1%の株を所有する大株主だった(バンダイは05年、ゲーム大手のナムコと経営統合し、共同持ち株会社「バンダイナムコホールディングス」を設立)。
山科氏は社長在任中から「茶屋二郎」というペンネームで念願の作家活動を始め、『遠く永い夢』(日新報道)、『一八六八年 終りの始まり』(講談社)といった歴史小説などを執筆してきた。ただ、作家業は道楽の域を出なかったようだ。山科氏自身が雑誌にこう綴っている。
「本が売れなくても気にしない全くのノー天気作家」「飲み屋のママに『先生』と言われた瞬間、すべては文学者という至福な時空に様変わりして勘定書などは空に飛んで行ってしまう」(「財界」07年2月27日号)
◆私財を投じた父、財布にした息子◆
還暦を過ぎ、本来なら悠々自適の楽隠居で、文筆活動に専念すればよさそうなものである。ところが、実際には冒頭で触れた「金銭トラブル」が持ち上がった。
事件の舞台となったのは「財団法人日本おもちゃ図書館財団」(以下、おもちゃ財団)である。
「おもちゃ図書館」とは、障害のある子どもに遊び場を提供し、おもちゃの無料貸し出しを行うボランティア活動で、81年に東京都三鷹市で始まり、全国に広まっていった。
「経営が順調なうちに何か一つ残したい」
そう考えた山科直治氏は、おもちゃ図書館の活動を支援することにし、84年に4億3千万円の私財を投じ、おもちゃ財団を設立した。
現在、おもちゃ図書館は全国約500カ所で活動し、主に公民館のような公共施設を利用して月1、2回程度開館するところが多いが、常設館もある。
財団の内部資料によると、基本財産は10年3月末時点で、約3億円の普通預金と、約38万のバンダイナムコホールディングス株(簿価で約3億円。以下、バンダイ株)から成っていた。