プロ11年目の堂林翔太(広島)が打率3割8厘、10本塁打、27打点(8月20日時点)と好調だ。
【写真】「平成で最もカッコいいバッティングフォーム」はこの選手!
1軍デビューをはたした2012年、144試合にフル出場し、14本塁打を記録。14年まで3年連続オールスターに出場し、“プリンス”と呼ばれた。だが、15年以降は打撃不振などからライバルにポジションを奪われ、出場機会も激減。昨季は過去最少の28試合出場にとどまり、戦力外やトレードの噂も飛び交った。そんな選手生活の崖っぷちから見事復活をはたし、再ブレイクしたのは、不思議な成長曲線としか言いようがない。
実は、過去にも堂林のように若くして活躍した直後に伸び悩み、長いトンネルを経て、鮮やかな復活劇を遂げた例がいくつかある。
堂林と同じ11年目の秋山拓巳(阪神)もその一人だ。高卒1年目の10年8月に初登板初先発で1軍デビューすると、2戦目でプロ初勝利。その後も9月12日のヤクルト戦で初完封を記録するなど、先発ローテを守り、4勝3敗、防御率3.35の成績を残した。阪神の高卒投手が1年目に2勝以上を挙げたのは、江夏豊、遠山昭治に次いで球団史上3人目。右腕では初の快挙だった。
だが、皮肉にも初年度の活躍が、成長曲線を歪めてしまう。秋山は当初2軍でじっくり育てる方針だったが、チームが中日、巨人と三つ巴のV争いを繰り広げるなか、駒不足に陥った先発陣の“救世主”としてフル回転したリバウンドから、2年目は0勝1敗に終わる。
さらに12年から16年まで5年間でわずか2勝と低迷。2軍では好投するのに、1軍に上がると打ち込まれる悪循環が続く。16年オフには、入団当初からつけていた背番号が「27」から「46」に変更された。
すでに「結果も出ていなかったし、(背番号が)変わるかもしれん」と覚悟していた秋山は、46番を「キンブレルの番号だから」と前向きにとらえ、「何かがいきなり変わることもない。いい状態を続けていくだけ」と出直しを誓った。