私がしたことといえば、基本的な生活を満たすために必要とされることだけだった。極力外出を控え、ウイルスに感染しないように努め、有限な医療資源によけいな負担をかけないようにし、さらに規則正しい家庭内フィットネスさえ始めた。もちろんウイルスには免疫力が大事だからだ。
しかも、せいぜい3月になって暖かくなれば流行は収まるだろう、そうなったらどうやって速やかに会社を元の軌道に戻せるだろうか、などと考えていた。今から思えば、まったく恥ずかしい話だ!
2月7日早朝、徹夜で頭がぼんやりしてはいたが、私は手を尽くしてできるだけ多くの食料を調達し持久戦に打って出る準備をしなければならないと考えた。都市封鎖15日目にしてようやく真の冷静さ、すっきりとした目覚めが訪れた。
○阿坡(A.PO)/一武漢市民。77日間の武漢都市封鎖(ロックダウン)を経験し、この手記を執筆。「阿坡」は本名ではない。全世界に多大な迷惑と災難をもたらした新型コロナウイルスについて、一人の健全な精神を持つ中国人としてお詫びの気持ちを表すために、英語の「apologize(お詫びする)」から取った。全世界の国々が中国からのお詫びを待ったとしても、それが述べられることはない。だか、この名前を用いて手記でお詫びの気持ちを表したいと考えている。
訳:kukui books
※AERAオンライン限定記事