何でも新しい家具に目のない母は、いち早く、氷かきの機械も買い入れていましたが、それを使って、氷をかく時間の思(おもい)の外のかかりすぎに、何でも誰かさんに似て「メンドー臭」がりの母は、たちまちカンシャクをおこして、お金をかせいで、それで氷をかいたものを買う方を選びました。従って子供の私は、家の台所で、氷をかく楽しさをたちまち失い、母にねだった一銭を握って、通りの向いの赤い氷ののれんのひるがえっている駄菓子屋に駈けてゆくのでした。サクサク涼しい音をたてて白い氷が冷(つめた)い鉢に盛られると、赤や黄の色をつけてもらって、氷の山がとんがったガラス皿を胸に抱きこんだ時のしあわせさ!

 夏はかき氷が食べられるから最高だと思っていた私は、ある年から突然、アイスクリンという新種の冷いものがあらわれて、たちまちそのハイカラな味に魅了されてしまいました。小さな屋台をひいて、中年の男が、

「アイスクリーン! アイスクリーン!」

 と、がらがら声をあげながら歩いてきます。

 その声に子供たちがわれがちに駈け寄ると、三銭か五銭で、屋台の壺(つぼ)の中のアイスクリンをかき出してくれるのでした。そのハイカラな甘さの言いようのない美味(おい)しさに、子供たちは、みんな目を閉じて、うっとりと頬笑(ほほえ)んでしまいます。世の中の夏に、こんな美味しいものがあるなんて!

 もう誰もアイスクリンとはいわなくなり、アイスクリームが通り名になった時、大人になった私は、はじめて外国旅行をし、イタリアにたどりつきました。その町の広場の人だまりの中から、突然、中年の男の声で、

「アイスクリーン! アイスクリーン!」

 という声が聞こえました。なつかしさの余り、人ごみをかきわけてその声に近づくと、一台の荷台を前に、男が客を呼んでいたのでした。私はそこではじめて、子供の頃覚えたアイスクリンは、イタリア語では正しく、アイスクリームより早くこの世に生れた氷菓子の名前だったのだと識(し)りました。

 苺(いちご)汁をかけた赤いかき氷や、アイスクリンの甘いハイカラな味が、今更のようになつかしいです。毎日、コロナに脅(おび)え、この暑いのに大きなマスクをして、顔をかくし、親しい人たちにも逢(あ)えなくなった我々は、ふっと、子供の頃のなつかしいかき氷の赤いのれんや、アイスクリンの屋台の呼び声に、涙を誘われるのではないでしょうか。一緒にアイスクリンなめたいね!

週刊朝日  2020年9月11日号