

ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、直木賞のその後について。
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馳星周が直木賞を受賞した。おめでとう。実に七回目の候補だったからホッとしただろう。
ちなみに、わたしは六回目だった。うれしいのはあたりまえだが、もう二度と候補にはならないことでホッとしたのが先だった。受賞後はそれまでの連載原稿に加えてエッセイやらインタビューやら対談やらで寝るまもないほど忙しくなり、危うく週刊誌の連載を落としそうになったこともあった(ちょうどそのときが夏の合併号だったので助かった)。
また、わたしが受賞したのは2014年の七月だったが、その年の春ごろから報道されはじめた京都、大阪、兵庫の青酸連続死疑惑が事件となり、秋口には被疑者が逮捕されるのではないかという情報が複数の新聞記者からとどいた。
わたしはその青酸連続死疑惑に似た『後妻業』という小説の月刊誌連載を前年の十一月に終えていた。出版は14年の十一月という予定だったが、事件が弾けたあとの出版では後追いになってしまう。事件をモデルにして書いたと思われてはいけないから、一日でも早く本にしないといけない。
わたしは必死のパッチでがんばった。連載した原稿を再読して加筆修正し、校正原稿をまた直して、ようやく出版にこぎつけたのは八月末だった。関西青酸連続死事件が弾けたのは十一月だったから、なんとか間に合ったというわけだ。あの事件がいまは『後妻業事件』とも呼ばれることを考えると、どこか感慨深いものもある。
そんなふうに直木賞受賞後、嵐のような三、四カ月がすぎ、平常の仕事のペースにもどったのは半年後だった。馳さんもいまはむちゃくちゃ忙しいにちがいない。
いつもなら八月に開催される受賞パーティーがコロナ禍で流れたので、東京へ行くこともなくなった。東京から編集者が来ることもない。大阪市内に出るのは月に一、二度か。もともと出無精だからストレスはまったくない。