他の農家にも栽培法を指導し、「いちご生産集出荷組合」という独自の組織を立ち上げた。「農協が合併したいと何度も言ってきたんですが、農協は手数料が高くて中間搾取が多いから断ってきました。いずれ駄目になるだろうと見ていたら、やっぱり農協は駄目になりましたね」。売上高はピーク時、4億円近かった。組合員は一時、250人を数え、それを支持基盤に町議を4期務めた。副議長にもなり、地元政界に隠然たる影響力を持った。

 ──ならば義偉さんは集団就職しなくても良かったのでは?

「アレは全然勉強しなかったの。『バカか』と言ったの。北海道大を受けて弁護士か政治家になりたがっていたけれど、全然勉強しないから入れるわけないの」

 ぼろくそだ……。義偉の子供時代のことを聞くと、父からはすぐ「バカ」という言葉が出てくる。

 元教師という母のタツが付け加えた。「集団就職しても1カ月で帰ってきて、それでウチで勉強していたんです」。和三郎が続けて言う。「役内川でアユ釣りばかり。それで浪人中、アユ釣り大会で優勝して県知事から竿をもらったんです」

「集団就職」と片付けるには込み入った話である。むしろ菅が「自分探し」に彷徨していたと言えるだろう。結局、法政大に進学。父和三郎は、意外なことを打ち明けた。

「学生運動が盛んなときで、アレはデモを見に行ったら捕まってしまったんです。『自分はやっていない』と言っても、検事に調べられて長く留め置かれて、それで関係ないことがわかって帰されました」

──えっ、連行されたんですか?

「んだ」と和三郎。饒舌な父だが、さすがにこの瞬間は、しゃべりすぎたと思ったのか、神妙になった。タツも「あのときはショックだったみたい」と相槌を打つ。

 なるほど、若き菅義偉は、この強烈な父性が支配する家から逃げ出したかったのだ。郷里で取材すると、父の評判は「馬力のある人」「きっぱり突っぱねる人」「強い人」というものだったし、父本人も「私は気が荒くて、いつも悪者です」「役場の言うことなんか全然聞かない」と言う。

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デモ連行を直撃すると菅氏は…