総裁選を制した菅義偉氏(c)朝日新聞社
総裁選を制した菅義偉氏(c)朝日新聞社
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人気者の小泉進次郎氏も支持を表明(c)朝日新聞社
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 菅義偉総裁(71)が誕生した。7年8カ月もの間、安倍晋三氏を影の如く支えた次の首相のルーツはあまり知られていない。今は亡き父親の貴重なインタビューをひもとき、朝日新聞の大鹿靖明記者がその知られざる過去を追う。

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 もう11年前のことだが、当時アエラ編集部の記者だった私は、自民党内でめきめきと頭角を現してきた菅義偉という政治家の人物像を描こうと、生家のある秋田県湯沢市の秋ノ宮という集落に出かけた。菅にはどこかしら翳のようなものがあると感じられたが、私は彼の郷里に赴いて初めて、その独特の翳の由来を推察できた気がした。以下はそのときの記録である。

 新幹線とレンタカーで5時間以上かけて辿り着いた秋ノ宮は、山あいにある農村である。秋田県の南東の端にあり、宮城、山形の両県境に近い。冬は雪深く、それゆえに「春に土が見えたときの喜びは都会の人にはわからない」と菅は言っていた。彼はこの地で昭和23年、父和三郎、母タツの長男として生まれ、高校卒業後「集団就職」で上京し、東京・常盤台の段ボール工場で働いたという。「集団就職で上京」は、菅を語るときに必ずついて回るエピソードで、私は彼の生い立ちを調べようと実家を訪ねたのである。

 国道から少し入ったところにある菅家を訪ねると、このとき91歳だった和三郎が満面の笑みで、「待ってました」とばかりに出迎えてくれた。顔は息子そっくりだが、息子にある翳はなく、とにかく押しが強い。「私は19歳のとき、ここから満鉄に行ったんです。向こうで鉄道員をやって、徴兵検査を受けて入隊して……」。息子の話を尋ねる前に、強い訛りで話す父の武勇伝が始まった。

 和三郎は敗戦の翌年、生地の秋ノ宮に戻ると、昭和30年ごろからイチゴの栽培を始めた。それも甘さを追求する生食用ではなく、ケーキにのせる小粒で酸っぱいイチゴ。品種改良して開発したイチゴには自身の名前から「ワサ」と命名。「農家は作るだけで、売ることを知らないでしょう」と、東京はもとより洋菓子店が集まる神戸に乗り込んで販路を開拓。高度成長とともに売り上げを伸ばしていった。

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農協嫌いは父譲り…