ライター・永江朗氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、鴻上尚史氏、佐藤直樹氏の著書『同調圧力』(講談社現代新書、840円)を取り上げる。
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ウイルスよりも人間のほうが怖い。自粛警察だの他県ナンバー狩りだのを聞くと、ほんとうにそう思う。
『同調圧力』は作家・演出家の鴻上尚史と評論家の佐藤直樹による対談。構成はノンフィクション作家の安田浩一。
ウイルスで世の中が息苦しくなったというよりも、もともとあった問題がウイルスによって顕在化したのだと、この本を読んで気づく。キーワードは「世間」だ。日本には社会も個人もなく、あるのは世間だけ。法律よりも、人権よりも「世間」が優先される。ウイルスに感染した人は世間様に申し訳ないと謝り、感染者の家族はケガレているとして石を投げられる。まるで近代以前のようではないか。
息苦しさの原因は少数者・異端者を許容しない同調圧力のためであり、その根底にあるのは排除と恐怖の論理だ。異端者を作り出してみんなで叩く。叩かれるのが怖いので、叩く側に回る。同調圧力というと、付和雷同のような軽薄なイメージがあるけれども、むしろ人工的に生け贄を作るグロテスクなシステムなのだ。SNSによってさらに過酷になった。
そういえば麻生太郎財務相は、欧米に比べて日本の新型コロナの死者が少ないのは「民度」のためと考えているそうだが、なるほど「民度」イコール「同調圧力」と考えれば納得できる。だが、それは誇れることではない。
ぼくたちは「世間」から逃れられないのか。日本人に社会や個人は無理なのか。永遠に前近代のままなのか。本書が提案するのは、各人が同時に複数の「世間」を持つこと。なるほど、三つか四つ、いや1ダースぐらい世間があれば、ちょっと楽になるかもしれない。
※週刊朝日 2020年9月25日号