哲学者 内田樹
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※写真はイメージ(gettyimages)
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。

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 刀を手に入れた。居合の稽古用に真剣は一振り持っている。江戸時代の備前の刀である。美しく、穏やかな表情の刀で、楽しく稽古してきたが、急にある刀が欲しくなった。

 能楽師の安田登さんたちが主催する「天籟(てんらい)能」という催しがあり、私も時々ゲストで舞台に上がっている。2年前にそこで「小鍛冶」という能が出た。刀匠三條小鍛冶宗近(さんじょうこかちむねちか)が刀を打つことを一条天皇に命じられるが、力のある相鎚がいない。困じ果てて稲荷明神に参詣すると、果たして御利益があって一夜狐の精霊が現れて相鎚を務め、無事に名剣「小狐丸」が打ち上がったという話である。

 刀鍛冶(かたなかじ)の話なので専門家を呼んで話を伺おうと、川崎晶平さんという刀匠がゲストに呼ばれた。楽屋で川崎さんにご持参の刀を見せてもらった。鞘からすらりと抜いた刀身を見た途端に「垂涎」の状態になった。

 私は元来物欲の希薄な人間なのだけれど、この時ばかりは物欲の虜となった。「これ、ください」とほとんど川崎さんの袖にすがりついたが、売約済みの作品だったので、「他の作品を見てください」と言われて、その場は引き下がった。しばらくして、ご招待状を受け取り、展示会で川崎さんの打った新刀を見てその場で購入を決めた。それから拵(こしら)えに1年半かかって、先日ようやく手元に届いた。

 正直言って、私程度の武道家には身分不相応の名刀である。けれども、伝統工芸や伝統芸能には「旦那」というものが必要なのである。腕前はまず素人に毛が生えた程度だが、斯道(しどう)の玄人の仕事を見ると足が震える程度の鑑賞眼は具(そな)わっている。そういうレベルの人たちの厚い層が伝統の擁護と顕彰のためにはなくては済まされないのである。

 能楽を習い始めた時「旦那芸」として稽古することに肚(はら)を決めた。玄人と見所の客の間にいて、至芸に嘆息をついてみせるのが旦那の主務である。落語「寝床」が描く通り、旦那は滑稽で時にはた迷惑な存在ではあるが、伝統が継承されるためにはなくてはならないものである。今多くの伝統文化が存亡の危機に瀕しているのは、決然として旦那たらんとする人がすっかり減ってしまったからである。

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

AERA 2020年9月28日号