直近の竹内さんのCM契約は2社のみ。9月1日にそのうちの一社、サンヨー食品「サッポロ一番」のイベントに登壇すると、新たにCMキャラクターとなったタレント2人を前に、「お2人ともとても素敵な方で。私のこの座が奪われるのでは、と、戦々恐々としております」と発言。冗談とはいえ内心の不安が表れていたとも考えられる。
もう一つ、無視できないのが産後うつだ。竹内さんは9月発売の雑誌のインタビューで、子育てについてこう語っていた。
<わかっていたつもりでしたが、眠れないし、もらった風邪はなおらないし……。赤ちゃんのお世話は本当に大変ですね>(「LEE」10月号)
育休後の仕事への不安も明かしていた。
<実は2度の出産で仕事を離れることには不安がありました。特に長男のときは、私の代わりはいくらでもいると思っていて、怖くてたまらなかった>(同)
前出の関係者が語る。
「前回の出産は25歳で無理も利いたが、今は体力的にきつい。以前のように子育てしながら仕事をこなせるか不安になり、悩んでうつ状態になっていたと聞いた」
竹内さんの所属事務所に出来高制や仕事環境の変化などについて取材を申し込んだが、期限までに返答は得られなかった。
お酒が影響した可能性もある。竹内さんは一昨年のテレビ番組で「台所飲みが好き」と語っていた。心理学者の藤井靖・明星大准教授が語る。
「一般的に、自殺の直前にお酒を飲んでいた方は多い。お酒が最後の一線を越える後押しをしてしまう場合があるのです」
今となっては真相はわからない。竹内さんの40年の人生を振り返ると、複雑に絡み合った運命の糸が見えてくる。
高校入学直前に東京・原宿でスカウトされ、芸能界入りした竹内さん。さいたま市内にあるかつての実家周辺を取材すると、こんな声が聞こえてきた。
「明るくていい女の子でした。お母さんが手話のボランティアをしていましたね」(かつての実家と同じマンションの住人)
三姉妹の末っ子で小学生時代はおてんばな性格だったという。中学2年生の時、母が40歳の若さで病没。翌年には父が別の女性と再婚し、継母と共に暮らした。その翌年には芸能界入り。当時の竹内さんを知るテレビ局スタッフは「デビュー2年目くらいにドラマの撮影で会いましたが、舞台裏では暗い感じでしゃべらず、『大丈夫かな』と心配になったぐらいでした」と語る。