父に相談すると、「じゃあ、やめたら」の一言。

「医学部入学に期待をかけていた父の言葉は冷徹に思えて発奮しました。合格でも不合格でも、終わってから考えようと試験に挑むことにしました」
 
 結果、1回目の受験は不合格。合否をスマートフォンで確認した電車の中で、自分でも意外なほど涙が流れて止まらなかった。

「そのとき、本当に医師になりたかったんだと気がついたのです」

 改めて医学部への思いを強くするが、リオ五輪を控えていたため浪人せず、東海大学体育学部へ進学。けがで代表の座は遠のいたが、4年次には世界選手権で優勝するなど快進撃を続けていた。
 
 一方で医学部受験は、柔道引退の期間まで学士編入学を目指すことにしたが、東京五輪のめどが立った時点で一般入試も狙うことに決め、3年次から予備校に通い準備を進めた。柔道、受験勉強と重い負荷を背負ったが、意外にも二つのことを同時にやることが性に合っていた。

「一つのことに没頭すると、ネガティブな考えに向かってしまう。切り替えることでリフレッシュし、柔道にも勉強にも打ち込めました」
 
 国際大会の間隙(かんげき)を縫って学士編入試験を受けた18年、2回目のチャレンジは全滅に終わった。くじけそうになる気持ちを奮い立たせて、大学卒業後1年目の19年秋にはAO入試にも幅を広げて3回目の受験に挑んだ。このころは実業団に所属しながら毎日最低2時間は机に向かい、代表合宿や遠征先でも時間を見つけては勉強を続けていたという。

「学力がついてきた実感はあったのですが、連戦連敗だったので、自信はありませんでしたね」
 
 出口が見えないなかで臨んだ入試で獨協医科大学に見事合格した。
 
 待ちに待った医学生生活は、コロナの影響でオンライン講義が続いていたが、6月からは対面講義が始まった。朝比奈選手は朝の9時から夕方まで講義を受け、その後トレーニングに向かう。

「大学がある場所はいい意味で田舎なので、勉強に集中できる環境です。1年次の早い時期から臨床体験実習があるのでモチベーションが保てますね」
 

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5歳も年下の同級生と助け合って学んでいる