批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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日本学術会議の任命拒否が大きな話題になっている。
日本学術会議は内閣府の「特別の機関」で会員は首相により任命される。従来任命は形式的なもので、同会議の推薦に基づき行われてきた。それが今回は6人について任命を拒否したというのである。
拒否された候補はいずれも政権批判の過去があり、学問の自由の侵害との声が高まっている。政権は、任命権は首相にあると主張しているが、それが37年前の国会答弁と矛盾していること、また拒否理由を開示していないことも非難を強めている。有識者や各学会からも批判が相次いでいる。当然の反応だといえる。政府には丁寧な説明を求めたい。
しかしその前提のうえで考えたいのは、なぜいま菅政権がこんな「暴挙」に乗り出したかということである。むろん言論統制の欲望は確かだ。任命拒否は明らかにイデオロギー的な理由で行われている。
だがその欲望が高支持率を背景に暴走したと捉えるのはいささか素朴すぎる。政権は任命拒否が強い反発を呼ぶことはわかっていたはずだ。それでも「勝てる」という計算が働いたのではないか。