

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【写真】無事帰還を果たしたちゃぶ台を祝して、焼きそばで初晩酌
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先週、30年付き合ったちゃぶ台を大枚叩(はた)いて修理したと自慢したばかりでナンだが、一方で、あるものを買い替える決断をした。ベランダで野菜を干すザルである。
6年前、築地市場の道具屋で手に入れた梅干し用の特大ザルで、以来、風の日も雨の日も1年365日文句も言わず働きづめという「おしん」レベルの苦労人だったが、屋外労働がこたえたとみえ、編んだ竹がほつれ、破れ、修理を試みたがあちこちひっくり返しているうちに余計に壊れてきて、泣く泣く処分を決めざるをえなかった。
持っているものが少ないと、このようにものを捨てるのは一大事だ。「飽きた」「汚れた」などのレベルで軽く買い替えていた昔が夢のよう。実は知人の影響も大きい。人が捨てるものを譲り受けては、鍋の蓋のつまみが取れてもポットの取っ手が取れても、自己流で修理したり鍋つかみでつかんだりして平然と愛用している姿があまりにカッコよく、いつ捨てるのかと聞いたら「底が抜けたら」だって! ニヒルな西部劇のガンマンみたいでクラクラした。
以来、「それはいつまでそれなのか」ということを考えるようになった。鍋はいつまで鍋なのか。ザルはいつまでザルなのか。不注意で4分の1ほど燃えてしまった木のスプーンは、汁をすくえるうちはスプーンと判断し現役続行。大きく欠けた皿も、モノを載せられる場所があるうちは立派な皿と認定する。そうこうするうち、この問いは自分にも跳ね返ってくるのだった。人はいつまで人なのか。手足が動かなくなったら? 頭がボケてきたら? それでも私は私である。そう思いたくて、祈るように、意地になって、物を捨てず、直し、つまりは寿命を可能な限り延ばして愛用し続けているような気がする。
その中で、この度のザルは痛恨の出来事であった。破れが広がり、載せたものが穴からどんどこ落下するに至り、これはもうザルとは言えぬと判断せざるをえなかった。雨の日は家に入れてやるべきであった。2代目は10年もたせる覚悟である。冥福を祈る。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2020年10月19日号
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