雅子さまの和歌を愛子さまはどう受けとめたのか (c)朝日新聞社 @@写禁
雅子さまの和歌を愛子さまはどう受けとめたのか (c)朝日新聞社 @@写禁

 1月16日に皇居・宮殿で執り行われた歌会始の儀雅子さまが披露した和歌は、「回復」と「後退」のどちらのサインだったのだろうか。

 雅子さまは、愛子さまが生まれて以来、一貫してわが子のことだけを詠み続け、宮内庁内外から「立場にふさわしく公の和歌を詠むべきだ」と批判を浴びてきた。ところが、2010年から昨年までの3回の歌会始で発表された和歌は、愛子さまを題材としたものではなく、「ある種、回復の兆し」(宮内庁関係者)とも受け止められた。

 だが、今年はなぜか逆戻り。「立」というお題にちなみ、愛子さまが生まれた夜の情景を詠んだのだ。

〈十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり〉

 果たしてこの和歌から、どんな意味を読みとることができるのか。精神科医の香山リカ氏は、雅子さまが自信を取り戻した表れだろうと分析する。「愛子さまの登下校や学校にほぼ毎日付き添い、校外学習にまで“同行”し、世間の猛烈なバッシングを浴びた09年から11年にかけては、雅子さまにとって苦難の年でした。療養生活のなかで、唯一の心のよりどころであった家庭と子育てにすら批判が飛び、精神状態もどん底であったはずです。結果として、愛子さまのことはつらすぎて和歌にすら詠めなかったのでは」。

 それが昨年は、雅子さまの付き添いもほぼ見られなくなり、愛子さまも学校で元気に活動するようになった。香山氏が続ける。「今年、雅子さまが愛子さまのことを再び詠み始めたのは、母親としての自信を取り戻し、“家庭を大切に”という気持ちが揺るぎないものになったというサインだと感じます。愛子さまが生まれたあの夜というスタートラインに、気持ちが戻ったということでしょう」。

 雅子さまの歌が披講される間、皇太子さまは句をかみしめるように、朗読の音に合わせてうなずいていた。お二人の決意は固い、ということなのだろうか。

週刊朝日 2013年2月1日号